日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
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鞆(広島県福山市)における町並み保存運動とツーリズム
*木本 浩一
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p. 61

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抄録
1.はじめに 本報告では、広島県福山市鞆における歴史的環境保存運動の概要を紹介し、瀬戸内海沿岸域の都市部におけるツーリズムに関わる諸問題を整理する。 2.鞆の町並み保存運動 鞆の町並み保存は当初、行政主導で始まった。1975(昭和50)年、福山市教育委員会は「鞆の町並み保存対策委員会」を発足させ、郷土史家らに委託して調査を進めていたが、人員不足などから活動は停滞気味であった。1980年代に入り、鞆港埋め立て計画が発表された頃から、地元でも住民を中心として、埋め立て反対を直接の目的とした保存運動が展開していった。1990年代に入ると、運動は研究者の協力や他地域の運動と連携するなどして盛り上がり、現在では、開発か保存かという次元を越え、「市民事業」的展開をも視野に入れた活動として全国的に注目されている。 鞆の運動は、運動としての評価は高いものの、埋め立て問題との関係で言えば、事態は硬直化し、予断を許さない状況にある。この背景には、公共事業の硬直性や運動の形態など指摘すべき点はあろうが、本報告では、ツーリズム間の相克という側面について検討してみたい。すなわち、都市政策におけるツーリズム政策の重心移動と、住民らが許容し得る、もしくは運動と共存し得るツーリズムとの対抗関係について検討してみたい。3.鞆の周辺性 古来「潮待ちの港」として栄えてきた鞆は、明治期以降、港湾機能の相対的低下にともない衰退の一途を辿ってきた。その後は、現在に至るまで一貫して「外来型発展」の文脈の中で位置づけられてきた。その「外来」性としては、次の2点を指摘しうる。まず、人口稠密地域内での過疎という点があげられる。高度成長期を通じて、瀬戸内海沿岸域は工業化・都市化の進展という意味で「発展」の中軸であった。しかし、その反面、工場および生活排水の急増や、海底や島嶼部の土砂採取などによる自然環境の悪化をもたらし、同時に、島嶼部や沿岸部の非市街地地域においては深刻な過疎問題を招来した。鞆の場合、1956(昭和31)年の福山市との合併以来、発展する福山市の内部において、反比例するかのごとく人口が減少してきた。4.町並み保存運動とアーバン・ツーリズム(以下、UT)次に、第2点として、都市政策の重心移動との関連がある。「都市経済の衰退が都市環境の保全を必然化し、また可能にした」(宮本憲一、1989)ことに伴い、都市は新たな産業として観光産業に着目している。UTとは新しい概念であるが、それは「観光や交流を目的として来訪する人々が、様々な効果をもたらすことを認識し、魅力ある都市づくりにつなげていうこと」(国土交通省、2003)と定義されるように、いまのところ、産業としての観光や都市中心部の再生や活性化など、「都市政策として」の「戦略的な位置づけ」(淡野、2003)が主たるものである。福山市でも、1980年代以降、地域産業のハイテク化・ソフト化に伴い、行政レベルで、明示的ではないが、UTへの志向がみられる。しかし、そのことが却って、鞆の町並み保存運動と共存しうるツーリズムへの関心を低下させている。ここには、UTにおける地域スケールに関わる問題が含まれていそうである。すなわち、都市を点として捉える傾向の強いUTの議論の場合、都市内の地域構造上の問題が看過されやすいのである。 鞆が港であったこと、これを起点とすることによってこそ持続し得るまちをつくることができ、海との関係を再構築し得るであろう。しかしながら、今のところ、都市政策やUTからは、まち政策やまちツーリズムは生まれてきそうにない。
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© 2003 公益社団法人 日本地理学会
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