抄録
1. はじめに 北海道東部太平洋沿岸地域には顕著な更新世海成段丘面が見られ、この段丘高度が示す長期的(10万年スケール)な地殻変動傾向は緩やかな隆起である(Okumura 1996、小池・町田2001)。これに対して、過去100年間の検潮記録は、同地域が急激に沈降していることを示している。この明らかな矛盾傾向は、将来起こりえる巨大地震によって「つじつまあわせ」が起き、解消されると考えられている(池田1996)。仮に、そのような地震が過去に繰り返されていたならば、海岸地域には何らかの記録が残されているはずである。演者らはこのことに注目し、北海道東部の塩性湿地群において海水準変動の復元を行い、そこから過去の地震性隆起・沈降履歴を推定してきた。2. 研究方法 研究調査は、厚岸町周辺湿地、浜中町藻散布沼および火散布沼、根室市温根沼で行った。対象地域では、ピートサンプラーを用いて連続堆積物試料を採取し、あわせて地形測量を行った。採取した試料は研究室に持ち帰り、珪藻分析用試料(5mm_から_5cm間隔)、大型植物用試料(2cm間隔)に分割した。珪藻化石は次亜塩素酸ナトリウムによって抽出し(Sawai 2001)、大型植物化石は0.25mmメッシュの篩を用いて水洗・拾い出しを行った。炭素年代測定用の試料は、大型植物化石を用いて行った。火山灰は、EPMAによって含有元素を測定して起源を推定した。 3. 堆積物の層相変化と化石群集の変化 対象地域の地下堆積物は、泥炭層中に含まれる連続した無機質泥層および有機質泥層によって特徴付けられる。これらは、テフラKo-c2(西暦1694年)とTa-c2(約2500年前)の間に3層見られるという点で地域間の共通性が見られる。層相の変化の大きい層準において珪藻分析、大型植物化石分析を行った結果、これらの泥層には汽水_から_海水生珪藻(Pseudopodosira kosugii, Tryblionella granulata, Paralia sulcata, Diploneis smithiiなど)や、塩生植物であるヒメウシオスゲ、チシマドジョウツナギの種子が多く含まれていることが分かった。また、泥炭層中には多くの淡水生珪藻やミズゴケ類が含まれていた。以上の分析結果を参考に、環境変動の激しい層準の炭素年代を測定した結果、3層の泥層はそれぞれ北海道東部太平洋沿岸において発生した同時期の相対的海水準変動を反映しているものと考えられた。4. 相対的海水準変動をもたらす要因 本調査で明らかにされた相対的海水準変化をもたらす原因として、陸域の隆起、海水面の上昇、湖口部の開閉などが考えられたが、これまでに明らかにされている北海道東部の環境変遷史や津波堆積物の年代、珪藻類の特徴的な変化、層序境界の急激な変化、炭素年代の同時性から判断して、千島海溝の巨大地震イベントによる陸域の隆起が最も適切であると推定された.5. 古地震イベントによる海岸隆起量の推定 明らかにされた古地震イベントの個々の特徴を把握するために、珪藻類を用いた隆起量の定量復元を行った。海岸地域に生育する珪藻類は、冠水率(平均潮位からの相対的な高さ)、底質、塩分濃度に支配されて分布している。演者らはこの点に注目し、現生珪藻群集の観察結果から群集_---_高度の変換関数(Transfer Function)を作成し、それを化石群集に応用することによって海岸隆起量を推定した。その結果、テフラKo-c2直下の古地震イベントに伴った海岸隆起量は少なくとも0.5_から_1mであることが分かった。