抄録
1.はじめに木曽川デルタは約6kyrBP以降,内湾性の中部泥層(MM)を覆って上部砂層(US)がプログラデーションしてきた[1].ボーリングコアに多数の14C年代値を入れた最近の研究によってプログラデーション速度が変化してきたことが明らかにされている[2].本発表では,既存ボーリング柱状図を整理し,ボーリングコアの分析結果と総合してデルタ堆積物の3次元的な構造を明らかにし,デルタのプログラデーションと河川フラックスの各々の時空間変動を明らかにするための基礎資料とする.2.方法平野全体を1kmメッシュに区切り,各メッシュから1本ずつ,最も高い精度で記載されている既存ボーリング柱状図を選択し,堆積ユニットの境界面高度を識別してGISソフトTNTmipsに入力し,堆積ユニットの層厚や境界面の深度の分布図を作成した.一例を図1に示す.3.結果および考察上部砂層(US)の層厚の分布(図1)から以下のことがいえる.1.上部砂層の厚さには,ばらつきがあり(約6_から_17m),厚い部分が帯状に分布する(図中に矢印で示す).この帯状の部分は主に上部砂層の下面高度の低い谷部に対応する.この谷に沿って,粗流物質の運搬・堆積が卓越するデルタの前進軸が形成されていたと判断される.2.平野の北部ではこの上部砂層の厚い帯状部分が主に木曽川の扇状地から放射状に広がる方向に伸びている.現在の自然堤防の分布も同様のパターンを示すことや,本デルタが閉塞性の高い内湾に面していることを考えると,当時砂質堆積物のフラックスの大きい木曽川を中心に鳥趾状の三角州が形成されていた可能性がある.3.南部ではこの帯状の部分は収束しつつ南に向かっている.このことは西側を養老山地に,東側を更新世の段丘や埋没段丘に限られて,デルタの主軸が東西方向に大きく振れる余地にとぼしかったことを示唆する.発表ではボーリング柱状図の数を増やして上部砂層の体積についても報告する予定である.引用文献[1] 海津正倫(1992):堆積学研究.36,47-56 [2] 山口正秋・須貝俊彦・藤原 治・鎌滝孝信・大森博雄・杉山雄一(2003):第四紀研究.42,335-346 [3] 大上隆史・須貝俊彦・藤原 治(2004):日本地理学会要旨集,65,85