抄録
兵庫県北部の鉢北高原に位置する大沼湿原は県内最大の高層湿原であり,湿原を含む高原地域は多様な動植物相に恵まれている.大沼湿原地下には層厚6m以上に達する堆積物が存在し,最下部の年代は2万年前以前に遡るとされる.本研究では,湿原内で電気探査を実施して堆積物が最も厚く堆積する地点(大沼湿原のほぼ中央部)を推定し,そこにおいて掘削深度65mに達するオールコアボーリングを行った。湿原地下の堆積物は,深度17m以浅が泥炭と粘土を主とする細粒層からなり,それ以深の深度約65mまでは礫を主とする礫・砂・礫混じり粘土の互層からなる.得られたコア試料について,層相の記載と年代指標となるテフラの識別と同定,含まれる泥炭や植物遺体(木片・球果・種子など)を用いたAMS-14C年代測定を行った.深度17m以浅の堆積物については,環境変動の指標として,色指数(彩度や,明度を示すLb*値)を約2cm間隔で,帯磁率を約2.5cm間隔で測定した.深度17m以浅の堆積物は,深度3mまでが泥炭,深度3_から_17mまでは,3層のテフラと1層の泥炭を挟み,植物片が散在し葉理の発達する粘土からなる.層相やヒシの種子が含まれることから,この粘土は池沼で堆積したと推定される.3層のテフラは深度約2.7m,6.8m,7.4mに挟まれ,それぞれ広域テフラであるアカホヤ火山灰(K-Ah),大山弥山軽石(DMs),姶良Tn火山灰(AT)に対比された.AMS-14C年代測定は深度12.5m以浅の12層準で実施した.深度12.5mで3.2_から_3.5万年前,AT下位の深度8_から_8.8mの泥炭で2.7_から_2.75万年前,DMs直上で2.4万年前,深度3.4mで1.15万年前の,14C年代値が得られた.以上の結果から,大沼湿原がいわゆる湿原状態を呈するようになったのは深度約17m以浅であり,4_から_5万年前以降であると推定される.最上部の泥炭の堆積開始期は約1万年前,下位の泥炭の堆積期は約2.7_から_2.8万年前であり,約2.8_から_5万年前と約1_から_2.7万年前には,大沼湿原は通年水を蓄えた池沼であったと考えられる.深度17m以浅の細粒堆積物のLb*値は,後氷期の温暖期で小さく(暗く),氷期の寒冷期で大きい(明るい).約1万年前のLb*値の変動は急激であり,最終氷期から後氷期への気候の急変期と一致している.また1.15万年前_から_1万年前の時代にはLb*値が急激に大きくなり,年代的にヤンガードリアス期の環境変動を表している可能性が高い.一方,最終氷期中ではLb*値の変動幅は一般に小さく,のこ派状の小規模な変動を示した.これらは100年_から_1000年オーダーの環境変動に対応している可能性が考えられる.堆積物の帯磁率も,Lb*値と類似した垂直変動を示した.帯磁率はATの下位や最上部の泥炭で小さく,テフラ降灰層準で高いことから,周辺からの磁性粒子の供給量の変動を表していると推定される.テフラ降灰層準以外では,上記のヤンガードリアス期に相当する層準で大きなピークを示し,この時期に湿原周辺で特異な環境変動が生じたことを表している.このように大沼湿原の堆積物には,約5万年前以降の時代における100_から_1000年オーダーの環境変動が記録されている可能性が高いことが明らかになった.