日本地理学会発表要旨集
2005年度日本地理学会秋季学術大会
会議情報

原爆投下直前の広島市市街地の数値地図作成
*小泉 俊雄
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p. 46

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抄録
1 はじめに2002年、米国国立公文書館において米軍が撮影した原爆投下直前・直後の広島の空中写真が国土地理院により発見された。広島への原爆投下は1945年8月6日であり、投下前は1945年7月25日撮影の縮尺1/14000である。広島の原爆に関する調査・研究は今でも行われており膨大な資料があるが、投下直前のいわゆる大縮尺地形図、すなわち一棟ごとの家屋などが記入されたものがないために、詳細な被害分布図が作成できないといった支障がある。本研究は、米軍偵察用空中写真をもとに、原爆投下直前の広島市街地全域について数値地図作成と空中写真標定要素の不明確な写真を使用した図化プロセスの試行を目的とした。2 使用した空中写真本研究で使用した空中写真は日本地図センタから市販されたものである。市販は印画紙焼きのもので、1枚の写真を半分ずつに切断した状態のものであり、それぞれ約22.5cm×23.0cmである。写真は割合鮮明ではあるが、現在の写真に比べれば鮮明さは劣る。3 広島市街地数値地図作成図化にあたっては、使用した空中写真が1枚のものを半分に切断したものであるため、これらを接合させ一枚のものに復元させた。接合後の写真は約45.0cm×23.0cmの長方形であり、現在一般的に用いられている空中写真とは異なる。写真の標定にあたっては、経年変化のために標定点の取得が困難である。そこで本研究では広島市から提供された現在の広島市の地形図作成に使用した空中三角測量のデータ(1/2500国土基本図DMデータ)をもとに、基準点が設置されており、かつ現在の地形と変化が少ないと考えられる場所を見定め、その点を基準点として入力した。基準点の配置にあたってはステレオ部分に均等に分布するよう心がけた。図化には、紙焼きの空中写真を600DPIのスキャナーで読み込み、デジタル図化機である「図化名人」を用いて図化を行った。本研究で作成した数値地図には一棟ごとの木造家屋、堅牢建造物、道路、橋梁、河川等が色分けされて示され、それぞれ平面位置と標高の3次元データを持っている。4 まとめ本研究により原爆投下直前における広島市街地のほぼ全域における数値地図が作成された。おそらく日本で最初のものと考える。今後はこれを基図として、投下直後の空中写真判読による詳細な被害分布図を作成するとともに、原爆の被害の資料を属性データとしたGISを構築する予定である。謝辞:本研究を行うにあたり下記の方々始め多くの皆様のご協力を頂きました。ここに心より感謝申し上げます。広島大学原爆放射線医科学研究所 竹崎嘉彦先生、広島市都市計画局計画調整課 天野貴之氏、広島平和記念資料館 西野満氏、 アジア航測(株) 内田修氏、織田和夫氏、寺田常夫氏、サン・ジオテック(株)村田雄一郎氏 復建調査設計(株) 小西哲夫氏参考文献1)志水清編:原爆爆心地、付:広島市原爆爆心地復興元市街地(広島大学原爆放射能医学研究所、NHK広島中央放送局)、日本放送出版協会、1969年2)竹崎嘉彦、祖田亮次:広島原爆デジタルアトラス、広島大学総合地誌研究資料センター、2001.83)広島市役所:原子爆弾被災状況、広島市街説明図、1971.8
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© 2005 公益社団法人 日本地理学会
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