日本地理学会発表要旨集
2006年度日本地理学会春季学術大会
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阿武隈山地北西部および郡山盆地周辺の地形発達史
*鈴木 毅彦植木 岳雪
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p. 61

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抄録
鈴木(2005a)において火砕流堆積物を用いて阿武隈山地北西部に分布する小起伏面群の年代とその形成過程を考察した.その結果は,1)鮮新世前期の5Ma頃にすでに階段状の小起伏面群は存在し,低起伏な丘陵状地形であった,2)これらを覆う火砕流堆積物の侵食が進んだが,基盤となるマサ化した花崗岩まで達すると侵食は鈍った,3)この様な形成過程からみれば,現小起伏面群は鮮新世前期までに形成された小起伏面群の剥離化石面である,の以上である. その後,阿武隈山地北西部の小起伏面群を覆う火砕流堆積物の一部にはより新しいものが含まれることが明らかとなった(鈴木,2005b).また阿武隈山地の隆起・形成過程を明らかにする上で必要な同山地に隣接する郡山盆地の古地理を示すデータが得らた.本報告では,郡山盆地および阿武隈山地北西部の地形発達史をテフラに基づき編み,阿武隈山地の隆起・形成過程を考察する. 阿武隈山地は全体的に小起伏な山地であり,いわゆる隆起準平原とよばれている.このうち北西部には複数の小起伏面が発達し,郡山盆地東方の三春町付近においてKoike (1969)が定義した小起伏面として,上位から船引面,熊耳面,三春面,上位舞木面,下位舞木面が分布する.熊耳面/三春面間と三春面/上位舞木面間の境界は地形面の高度差が大きいため識別が容易であるが,船引面/熊耳面間と上位舞木面/下位舞木面間の高度差は小さく識別がやや難しい. 上記の小起伏面群は,いずれも数10m前後の起伏をもつ丘陵状の地形を呈し,尾根部に強溶結部を伴う火砕流堆積物が認められる.このうち熊耳・三春面を覆う火砕流堆積物は久保ほか(2003)の三春火砕流堆積物の大半に相当する.本層には4.82±0.12Ma,4.86±0.12MaのK-Ar年代値が得られている(鈴木,2005a).一方,上位・下位舞木面上には三春火砕流堆積物および芦野火砕流堆積物(白河火砕流堆積物群の一部,1.5-2.0Ma?)が産出する.芦野火砕流堆積物は剥離化石面を覆ったと考えられ,年代の離れた三春/芦野両火砕流の流下間に剥離化石面が形成されたと考えられる. 郡山盆地は明瞭な活断層により区切られた盆地ではなく,奥羽脊梁山脈や阿武隈山地から徐々に低下する盆地で,その形成には盆地中央部を中心とした相対的な沈降運動が関与していると考えられている(小池,2005).郡山市街を中心とする郡山盆地北部は,新第三系や阿武隈山地を構成する基盤岩の延長部を基盤として,それを覆う層厚100m以上の未固結な細粒堆積物が広く分布する.この細粒堆積物の年代の詳細は明らかでなく,その上部となる郡山層の堆積終了期(郡山面離水期)が120-60kaとなることが明らかにされているにすぎない(小池,2005). 今回,阿武隈盆地と接する盆地東部および盆地西部において西郷火砕流堆積物の分布を確認した.このうち盆地東部では砂?シルトからなる堆積物に挟在された溶結凝灰岩として産出する.この細粒堆積物は郡山盆地を埋積するものと考えられ,とくに西郷火砕流堆積物を被覆する部分は郡山層の一部に対比できる. 三春火砕流から芦野火砕流の流出までの間の郡山盆地に関する情報はない.しかし南方の白河周辺において芦野火砕流堆積物が低地を埋めて堆積することからみて,郡山盆地付近も現在同様に低地であり,山地などの高まりがあったとは考えにくい.当時の阿武隈山地北西部と共に相対的な低地が拡がっていたのであろう.これに対し,西郷火砕流の流下時までには郡山盆地と阿武隈山地の分化はある程度進み,盆地では堆積が進行する一方,阿武隈山地北西部は郡山盆地に対し火砕流が到達しにくい相対的な高まりとなった.
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© 2006 公益社団法人 日本地理学会
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