日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 314
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現在に続くヒマラヤ交易
東ネパール、ソルクンブー郡からの試論
*渡辺 和之
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抄録

 本発表では、発表者がこれまで見聞した事例をもとに、ヒマラヤ交易が現在まで継続していることを考察する。特に畜産物の交易に注目し、その継続性を検討する。
 ヒマラヤ交易は1960年以前チベットとネパールの間で繰り広げられた交易である。ヒマラヤ山脈には所々通行可能な峠がある。これらの峠付近には家畜の隊商を率いて越える交易民がおり、おもにチベットの岩塩とネパールの穀物を中心に、家畜や羊毛や染料などを物々交易していた。こうした交易はインドから安価な塩がネパール国内に流入したこと、1959年のチベット動乱に伴う国境封鎖で衰退し、かつて交易民と呼ばれていた人々は、金融業や観光業へ移行した。また、カトマンズとラサを結ぶ道路の開通で物流の中心が自動車道路に移った。
 筆者が調査したソルクンブー郡でも、1960年以前、ナンパラ峠を越えてシェルパがチベットと交易していた。ただし、現在でも年に数度、隊商が行き来しているとの話を聞いたことがある。1990年代後半にも、ソル地方で交配したゾプキョ(ヤクと牛のオスの交配雑種)をクンブー地方に出荷し、トレッキングの荷役用にしていたが、その一部はさらにチベットへ転売された。また、ソル地方には、トプテンチュリンというチベット動乱を逃れてきた難民の僧院がある。1990年代後半、その付近に住むシェルパはシャクパと呼ばれるシチューを作る時、だしをとるのに羊の乾燥肉を使っていた。その羊肉はネパールの羊飼いが飼養するものではない。トプテンチュリンの僧院で買ってきたチベット産のものだった。僧院は独自の物流手段を持っていたのである。また、ソル地方には、チャルサというチベット難民のキャンプがあり、そこでチベット絨毯を作っていた。その材料となる羊毛がどこからどう運ばれてきたかは謎である。現在、カトマンズで作られるチベット絨毯の多くは、ニュージーランド産の羊毛を使用しているが、安価な絨毯にはチベットから自動車道路を越えてきた羊毛を使用している。ヒマラヤ越えの自動車道路が開通していない極西ネパールでも、1990年代に羊毛を交易していたとの報告がある(名和1997)。
 以上の話を統合すると、どうも畜産物という点ではヒマラヤ交易は各地で細々とではあるが継続している可能性がある。現在、ネパールでは自動車道路が各地で掘削が進んでいる。たとえば、ヒマラヤ交易の主街道であったアンナプルナ山麓のタコーラでは、ジョムソンまで自動車道路が開通した。チベット側は国境を越え、ムスタンまでトラックで入ることが可能とのことなので、人や隊商で輸送しなければならないのは、ジョムソンからムスタンまでの数十キロだけになった。今後、新たに開通した道路を畜産物がさらに行き来することにもなるのかもしれない。

文献
名和克郎1997ヒマラヤを越えて石井溥編『アジア読本ネパール』pp.94-101, 東京:河出書房新社。   

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© 2010 公益社団法人 日本地理学会
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