日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1502
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明治後期から大正期にかけての海軍志願兵の出身地
*花岡 和聖
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抄録

本研究では、明治後期から大正軍縮期までを対象に、近代日本の軍事的・社会経済的動向を踏まえつつ、海軍志願兵の志願者の地域差とその経年変化を明らかにした。特に日露戦争期の志願者数の急増に着目した。
本研究で得られた研究成果は、以下のように整理できる。
?@海軍志願兵の志願者数は、日露戦争期に急増し、その後、政治経済的動向を受けて上下変動を繰り返した(図1)。特に日露戦争期に志願者数が急増し、その熱狂の「波」は東日本から西日本へと波及した(図2)。志願兵の合格率は、明治後期の30%代から大正期には50%を上回り、学力や栄養状態の改善とともに合格率は上昇した。
?A志願兵の合格者の内訳をみると、対象期間を通じて農業従事者 が60%以上を占め、農村地域が海軍志願兵の供給を担っていた。ただし、日露戦争期には、商工業者の割合が一時的に増加した。
?B府県別に志願兵の志願率をみると、明治後期は関東地方で低く、東北や四国・中国、九州地方で顕著に高い傾向が確認された。大正期に入ると、近畿地方でも志願率が低下し、大都市を含む府県とそうでない府県での差が確認される。この時期、志願率の格差は縮小傾向にあるが、要因分析の結果を鑑みると、その主要因は地域間の経済格差の縮小であったと考えられる。
?C日露戦争期に着目すると、増加率は、1904年(明治37)に東日本でまず増加し、翌年に西日本で増加するといった空間的拡散を確認できた。それ以外の大半の年次の増加率には、統計的に有意な地理的パターンを見いだせなかった。一方で、日露戦争期、志願率の地域差は大幅に縮小し、その後もその地域差は維持された。
?D志願率の地域差を規定する要因を分析したところ、志願率は粗付加価値額で表される府県の経済状況に強く影響を受け、特に大正期の好景気になるとその傾向は顕著になった。以上から志願兵への志願は、地域の雇用機会と密接に関わり、海軍志願兵は不景気における雇用機会の一つであったと考えられる。
?E志願兵と九州及び中国・四国地方との結合関係が両地方で拮抗するようになった。同時に、東京と大阪を中心とした「都市―農村」や「中心―周辺」といった地域構造が当時形成されつつあり、志願率の地域差もその枠組みに準拠するように変化したと考えられる。

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