抄録
日本全国における工業中心都市は,各地で環境都市へと変わりつつある.川崎市では,長年にわたって公害問題を引き起こしてきた反省から,行政を挙げて環境政策,地球温暖化政策を進めている.また,東京都に隣接した都心へのアクセスの良い都市であることから,高度経済成長期以降,人口増加が著しく,良好な住宅都市として発展している.川崎市は,現在,社会資本の充実とともに環境整備が欠かせない時期にあるため,暮らし環境の整備された暮らしやすい都市を目指したまちづくりが進められている.本研究では,現在川崎市が推進している環境都市化の政策の現状とその特性を明らかにすることを目的とする.1976年,川崎市は全国初となる環境アセスメント条例を公布し,本格的な環境整備を始めた.臨海部では,1970年代後半以降,国の産業分散政策や公害問題の激化等をきっかけに,事業所の移転が進んだ.1997年,市の臨海部全体(約2,800ha)が,通商産業省(現在の経済産業省)から全国で第1号となるエコタウン地域の承認を受けた.川崎市におけるモデル事業として,2002年から川崎区水江町の「川崎ゼロ・エミッション工業団地」をモデル地域とした環境事業が全面的に稼動し始めた.さらに,2002年10月には,新産業,新分野の創出や支援,共同研究を目的としたサイエンスパーク「テクノハブイノベーション川崎(THINK)」が開設され,環境負荷の少ない産業が立地した.2005年8月現在の入居企業数は57社である.同様な施策として,「知識・イノベーション都市」の推進も行っている.内陸部では,1981年にマイコンシティの開発計画が発表され,エレクトロニクス・情報・通信関連産業等の集積のため,多摩区(現在の麻生区)の栗木地区と南黒川地区に国際的な研究開発拠点が設けられることになった.1985年には,高津区で操業していた池貝鉄工㈱溝口工場が茨城県へ移転すると,その跡地の利用法として,民間から「かながわサイエンスパーク構想」が持ち上げられ,翌年には事業主体の㈱ケーエスピーが設立された.1989年に開所し,2010年3月現在,132社が事業展開している.さまざまな環境負荷軽減は,川崎市環境基本計画や川崎再生フロンティアプランなどによって実践されてきた.産業公害都市からの脱皮のために,多くの工場跡地は研究開発施設や大規模な商業施設,太陽光発電所,風力発電所などへ転換され,暮らし環境の整備された都市づくりを推し進めている.