抄録
Ⅰ はじめにバックパッカーは観光地発見の先駆者である(オッパーマン・チョン 1999:201-203).中国雲南省では,バックパッカーが先駆的に観光開発に貢献し,その後マスツーリストが流入すると,外部資本による観光産業が卓越するようになる.雲南省南部の棚田地帯にある元陽(Yuanyang)でも同様に,2004年以降から観光客が増加し,観光客の主体がバックパッカーからマスツーリストへと移行した.本研究の目的は,観光客の主体がバックパッカーからマスツーリストへと移行した中国雲南省元陽における観光特性とその形成要因について明らかにすることである. Ⅱ 元陽の地理的概観と観光の概要元陽は雲南省の南部に位置し,ベトナム・ラオスの国境線と近接している.元陽県の土地被覆は,森林と棚田が中心である.棚田は,標高約800-1,800mに分布し,その中でも,元陽県中心部の棚田は世界遺産登録に向けて保護されている.元陽の住民の大多数がハニ族・イ族などを中心とした少数民族で,農業に従事している.元陽は長い間棚田があるだけの辺境の農村であったが,1992年に外国人に開放され,1990年代後半にわずかなカメラマンとバックパッカーが訪れはじめた.2001年に棚田が世界遺産登録暫定リストに登載された事によって,2004年以降にマスツーリストを主体とした観光客が増加している.そして,現在(2012年)の元陽を訪れる観光客は,バックパッカーとマスツーリストが併存している. Ⅲ 元陽の観光特性1.観光時期の差異バックパッカーは,西ヨーロッパ,アジア(中国も含む),北米などの多くの地域から訪れるが,マスツーリストは,中国人と日本人が大多数を占める.マスツーリストの観光時期のピークは,棚田に水が張られて景観が最も美しくなる2月から4月に集中する. それに対し,バックパッカーの観光時期は来客の居住地ごとに異なり,多様化している.アジアから訪れるバックパッカーの観光時期のピークは,マスツーリストと同様に2―4月にある.一方で,西ヨーロッパから訪れるバックパッカーの観光時期の変動は比較的少なく,8月と11月にわずかなピークがある.西ヨーロッパからのバックパッカーの観光時期に変動が少ない要因は,西ヨーロッパのバックパッカーは長期旅行で元陽以外にも旅行しており,旅行中に元陽を知り,ベトナム・ラオスとの国境越えの拠点として訪問していたことによる.また,西ヨーロッパからのバックパッカーの観光時期のピークが8月にある要因は,夏休みの利用が多いことによる. 2.宿泊施設立地の差異と要因 1990年以降,新街鎮のバスターミナル周辺に,棚田を保有しない漢族が経営するバックパッカー向けの宿泊施設が誕生した.2004年以降は,新街鎮の外縁部や棚田周辺の農村に,棚田を保有する少数民族が営むマスツーリスト向けの宿泊施設が誕生した. 宿泊施設の立地がバックパッカー向けとマスツーリスト向けで異なる要因は,観光客ごとに宿泊施設の選択理由が異なることによる.マスツーリストは,棚田の撮影場所に近い宿泊施設か大型宿泊施設であることを重視していた.一方でバックパッカーは,宿泊料金の安さ,みつけやすさ,ガイドブックの情報,などを重視していたためである. 3.地域住民の参与 元陽における大部分の宿泊施設は,雲南省のその他の観光地と異なり,地元住民によって経営されていることに特徴がある.増加したマスツーリスト向けの宿泊施設の経営に地元住民が参与できた要因について,以下の2点から考察する. 1)資金面の克服 第1に,元陽における多くの宿泊施設の経営者が,もともと土地を所有し,自宅を宿泊施設用に改造していたため設備投資が少額ですんだこと.第2に,前職に農業従事者が少なく,出稼ぎなどで資金を貯蓄できた経営者が多かったこと.第3に,棚田周辺の宿泊施設では政府による一部援助があったこと.である. 2)宿泊業と農業経営の共生 元陽では,棚田が世界遺産登録に向けて厳しく保護され,農業従事者はイネの耕作が放棄できない.宿泊業が農業経営を阻害しない要因は,第1に,マスツーリストの観光時期である2-4月は,稲作の農閑期にあたること.第2に,稲作の農耕期にも観光時期があるバックパッカー向けの宿泊施設は,棚田を保有していない漢族によって経営されていること.第3に,少数民族が経営する宿泊施設では,家族・親族や知り合いなどが農作業の補助を行っていること,である. Ⅳ 結論 上述の第1から第3の観光特性は,バックパッカーとマスツーリストの属性や行動などの違いと,観光客に対応する観光産業の違いによって形成された. したがって,観光開発が急速に行われた雲南省のような途上国における観光を研究する場合には,観光主体の違いと変化の実態を把握しないといけない.