日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S0307
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発表要旨
福島県の地域公共交通と災害復興まちづくり
*吉田 樹
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抄録
東京電力福島第一原子力発電所事故(以後、原発事故)に伴い、本稿執筆時点(2013年7月)にもなお約15万人の県民が避難している福島県では、避難生活の長期化が懸念される一方で、避難先が県外も含め、広域に分散していることによる課題がある。

原子力災害による警戒区域や帰還困難区域の指定を受けた町村では、応急仮設住宅が町村外に分散して立地しており、大熊、浪江、双葉、富岡、楢葉、葛尾、飯舘の7町村は、役場機能が町村外に置かれており、民間借り上げ住宅に避難している市民も少なくない。他方で、役場機能が従前地に復帰した市町村でも、世帯が分散して暮らすケースも多く、警戒区域が解除された川内村と南相馬市では、いずれも震災前の人口水準を回復していない。2012年11月時点の統計では、川内村民の避難先として、郡山市が最多であり、南相馬市では、福島市が2番目に多くなっている。しかし、郡山、福島両市の空間放射線量(当時。新聞発表される代表的な数値)は、川内村や南相馬市よりも高い値を示しており、必ずしもより低線量の避難先が選択されているとは限らない。その要因として、原発事故後の避難先や役場機能が中通りや会津地方の都市部に多かったことが挙げられるが、都市における生活の利便性も少なからず影響していると考えられる。また、避難者が従前地に帰還するか、それとも他所で生活再建するかは、除染の効果や作業の進捗、あるいは財物賠償など、地域のなかでは解決しがたい課題を前提にしなければならない。こうした状況のなかで、福島県内の復興まちづくりを進めるためには、インフラの復旧・整備に加え、生業づくりも含めた生活基盤の再生が鍵となる。

大規模災害時のモビリティ(移動手段)は、平時と同様に、市民の生活活動に欠かせない重要な役割を担っている。しかし、大規模災害時には、避難生活の変遷に応じて、地域公共交通の果たす役割も時系列で変化する。南相馬市の場合、原発事故直後は避難者の輸送を担うことが求められた。しかし、放射性物質の飛散予測やリスクに関する情報が交通事業者に適切に提供されず、車両の調達が円滑ではなかった。一方、市内で学校が再開され、応急仮設住宅が整備されはじめると、通学や買物、通院といった平時と同様の移動ニーズに対応することが必要になった。南相馬市では、応急仮設住宅からの通院や小中学校等への通学に対応したモビリティが優先的に整備されたが、市内を運行する多くのバス路線が休止され、タクシー事業者の営業区域に関しても特段の規制緩和が図られていないことから、十分にモビリティが提供されている状況にはない。しかし、鉄道の復旧が短期には見込めないなかで、交通事業者が新規の都市間バスの運行に踏み切った点が特徴的である。これは国土交通省が震災後早い時期に、地域間輸送の規制緩和を措置したことが有効に作用したものと考えられる。

福島県内に限らず、被災市町村の復興計画では、将来の施設配置図が先行して示されることが多い。しかし、南相馬市では、高齢化率が短期間に大きく上昇するなど、数年後を先取りした高齢社会になっている。そのため、自家用車がなければ「用足し」ができない街では、新たな「生活難民」を生み出してしまう。近年では、「買物難民」という言葉がよく用いられているが、その存在は、単純にモータリゼーションの進展や小売店の環境変化によるものにとどまらず、土地利用や道路整備の後追いで、モビリティの確保が考えられてきた歪みによるものでもある。したがって、土地利用とモビリティを一体に考えることが肝要である。大船渡市では、防災集団移転や復興公営住宅の整備が完了する前に、全市的な公共交通計画(マスタープラン)を策定し、復興都市計画事業との調整を図ろうとしている。このような取り組みが福島県内の被災地でも重要になると考えられる。
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