日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 308
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発表要旨
岩手県宮古・種市の考古学的調査
-特に古津波堆積層と遺跡の関係について
相原 淳一*駒木野 智寛佐々木 潤中嶋 灯奈
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抄録

Ⅰ はじめに

2011年3月11日の東日本大震災津波における人的・物的被害の甚大さもさることながら,その社会的・文化的な影響の大きさも計り知れないものであった.縄文時代貝塚の高台立地は,長らく気候による海水準変動に関係するものと考えられてきた.今回の被災をきっかけに縄文時代の集落立地と津波との関係が改めて検討されつつある.

三陸における古津波研究は2005~2010年にかけて文部科学省委託の「宮城県沖地震における重点的調査観測」において,ボーリング調査が東北大学大学院理学研究科,東京大学地震研究所,独立行政法人産業総合研究所によって行われ,数多くの古津波堆積層が確認された.特に大槌湾では2005年の調査で過去8,000年間の海底シルト層から22枚の津波堆積層が検出されている(今泉ほか2007).大震災後では,北海道大学の平川一臣が海食崖露頭の調査を行っており,文部科学省委託の重点調査ともほぼ整合する良好な調査成果を示している(平川2012).

本研究は平川の調査地に考古学的な検討を施したものである.

Ⅱ 研究成果

1.宮古市崎鍬ヶ崎
日(ひ)出(で)島(しま)遺跡


遺跡は宮古湾の湾口部に位置する日出島漁港の西側,弁財天社のある海岸段丘上に立地する.調査地点の約600m南東の沖合には日出島,北西には標高約120mの崎山貝塚(縄文時代前期~後期前半)が立地している.

調査地点では,上下2枚の津波堆積層(Ts1・Ts2)とその間から竪穴住居跡1軒が確認された.竪穴住居跡の年代は縄文時代中期後葉最花式(4,800~4,500calBPころ)である.

 2.洋野町種市
浜(はま)平(たい)遺跡


遺跡は種市角ノ浜漁港の北西約500mの海岸段丘上に立地している.さらに北方約500mの青森県境近くには平安時代の製塩遺跡である二十一平遺跡が所在している.

調査地点では,2枚の津波堆積層が検出され,その下に炉跡が確認された.Ts2層中およびTs2層下旧表土中から土器が発見された.Ts2層中の土器には,無文土器のほかにLR縄文の施された薄手の土器が含まれており,縄文時代晩期(3,220~2,350calBPころ)に属する可能性が高い.炉底面は被熱により著しく硬化しており製塩炉として用いられたものと考えられる.

Ⅲ おわりに
年代的には今回発見の日出島Ts2とTs1は大槌湾Ts20(4,900~5,000calBP)とTs19(4,200~4,300calBP),浜平Ts2が大槌湾Ts16(2,400~2,500calBP)に相当する.いずれも三陸地方に広汎に認められる「三陸超巨大津波」に伴う堆積層である. 
    
     
文 献
平川一臣2012.千島海溝・日本海溝の超巨大津波履歴とその意味:仮説的検討.科学82(2)
今泉俊文ほか2007.津波堆積物調査に基づく地震発生履歴に関する研究.宮城県沖地震における重点的調査観測(平成18年度)成果報告書
     
 
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© 2013 公益社団法人 日本地理学会
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