日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 112
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発表要旨
クレットマンコレクションの地形図 ―『習志野原及周回邨落圖』、『下志津及周回邨落圖』―
*細井 將右
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抄録

コレージュドフランス日本学高等研究所のクレットマンコレクションには地形図が3ある。陸軍士官学校教官の、ヴィエイヤール指導の下に明治8年秋の陸軍野営演習の際に作成された1万分1『習志野原及周回邨落圖』、その後継者クレットマン指導の下に明治9年秋の演習の際に作成の2万分1の同名の地図、明治10年秋の演習の際に作成の『下志津及周回邨落圖』である。
第二次フランス軍事顧問団のヴィエイヤールは来日前フランス陸軍士官学校教官の経験があり、新設の陸軍士官学校のカリキュラム作成に貢献したが、明治8年秋習志野原野営演習に際して陸軍の地図測量関係者27名に対し地形図作成の指導、習志野原及び周辺地域を6組に分けて原図作成、それから集成編集,翌1876年3月ヴィエイヤール校閲の『習志野原及幾軍周回邨落圖』がある。フランス国防省公文書館に残っている原図から、教導団の関定暉ほかの第三組の南西部分のほか、教導団の矢吹秀一ほかの第一組が北東部分を分担したことがわかっている。『陸地測量部沿革誌』附圖の第四圖 最初ノ近世式地圖(下総國習志野原東南地方之圖ノ一部) は枠外の左上部に 明治八年測圖、右上部に 第二號プランセット と記されている。プランセットはフランス語のplanchetteから 平板 のことで、第二號プランセットは、第一號、第三號の例から見て、明治8年秋の野営演習時の小宮山昌壽ほかの第二組の平板である。
工兵部門の後継者、士官学校教官クレットマンは、明治9年秋の野営演習の際に氏名は記されていないが士官学校生徒による測量から編集の縮尺2万分1、クレットマン翌1877年3月校閲の『習志野原及周回邨落圖』がクレットマンコレクションにある。これには図名、地名が日本語のほかにフランス語風にアルファベットで表記されている。
明治10年秋の野営演習の際に、縮尺2万分1の『下志津及周回邨落圖』が作成されており、その写真からの写しがクレットマンコレクションにある。この地図には現在の佐倉市南部の大篠塚も含まれており、フランス語式アルファベットの ossipodzouka が併記されているが、n  とすべきを  p  とする誤りが見られる。『陸地測量部沿革誌』附圖第五圖ノ三の地図に、大篠塚、ossipodzouka の地名が見られるが、アルファベット表記に同様の誤りがあり、この第五圖ノ三は『下志津及周回邨落圖』ノ原図の一部である。なお、この写真からの地図には、「クレットマン校閲」が見られず、校閲前のものと思われる。

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