抄録
1 富山市の合併の経緯
富山市は7市町村の新設合併によって平成17年4月1日に誕生した。人口422,342 人、面積1,241.85 k㎡をもち、富山県の人口の約4割、面積の約3割を占める存在である。元の富山市は江戸時代には富山藩十万石の城が配置され、明治以降も富山県庁が置かれて、富山県の政治・行政の中心地として発達してきた。産業分野でも、江戸時代から薬業や和紙などの産業が奨励され、近代期以降も豊かな電力を基盤とした工業が根付き、戦後には新産業都市建設や都市基盤の整備などにより、日本海側有数の商工業都市として発展している。富山市は平成8年に中核市へ移行し、意欲的な都市運営を行っている都市でもある。
政府の大合併政策が進行する中、富山市は県都として、環日本海地域における中核的な圏域として、「富山地区広域圏の大同団結」の合併をめざした。富山市を含む11市町村は、富山地区広域圏を元に、平成13年7月に富山地域合併に関する研究会、平成14年 9月 に懇談会を設置して合併について検討した。ここでの検討を経て、富山市・大沢野町・大山町・八尾町・婦中町・山田村・細入村の7市町村は、準備会を経て、平成15年4月1日に「富山地域合併協議会」を正式に発足させ、合併の枠組みを整えた。
富山地域合併協議会は、新市の名称等検討委員会・新市建設計画策定委員会を設置し、住民アンケート・住民説明会を実施しながら、合併の方式、合併の期日、新市の名称、市の事務所の位置、議員の定数及び任期の取扱い、組織及び機構の取扱い、新市建設計画などを24項目の協定としてまとめた。そして7市町村は、平成16年10月9日に協定書に調印した。
新市建設計画は、新市の建設を総合的かつ効果的に推進し、一体性の速やかな確立と新市全体の均衡ある発展が図れるよう、「合併後、概ね10年間」の施策の方向性を示したものである。 新市建設計画では、まちづくりの主要な課題を見据え、新市の3つの基本理念(共生する、交流する、創造する)を元に、新市の将来像を「環境と創造の夢舞台」と定め、まちづくりの基本方針として、①【健康・福祉の充実】、②【生活環境の向上】、③【自然との共生】④【産業の振興】⑤【教育・文化の振興】⑥【交流・連携・協働の促進】の6つの方針を定めた。これらの方針を元に、主要施策を定めた。その施策の柱が、「川上」から「川下」までの一体感の醸成(「森づくり」「棚田の保全」活動)と新市の均衡ある発展(旧町村における地域課題解決のための施設整備など)などである。そして新市の土地利用の方向性を将来のイメージ図としてとりまとめた。そのイメージ図では4つの交流軸、4つのゾーン(市街地、田園環境共生、自然環境共生、自然環境保全)、4つの拠点を骨格とし、都市と自然が共生できる土地利用の配置とした。
2 富山市総合計画-コンパクトなまちづくり-
合併時に策定された「新市建設計画」を元に、そのまちづくりの理念を継承したのが富山市総合計画である(平成19~28年度)。12のまちづくりの主要課題(人口減少と少子化への対応、超高齢社会への対応、危機管理・防災対策、環境政策、森林政策、個性ある地域の発展と一体性の確保、広域的な拠点性の向上、コンパクトなまちづくり、地域力の強化、地域産業の活性化、富山の魅力の発信、効率的な行財政運営)を見据えて、安心・安全・潤い・活力・協働という5つのまちづくりの目標を定め、19の政策を配置した。
19の政策の中で、富山市を最も特徴づける政策は「コンパクトなまちづくり」である。このコンパクトなまちづくりを一言で表したのが『お団子と串の都市構造』である。串とは、「一定水準以上のサービスレベルの公共交通」、お団子は「串で結ばれた徒歩圏」のことである。お団子と串の都市構造を実現するため、以下の3つの方策を実施している。
①公共交通の活性化:
鉄軌道、路線バス及びコミュニティバスの公共交通網
②公共交通沿線地区への居住促進:
まちなか居住推進事業・公共交通沿線居住推進事業
③中心市街地の活性化:
グランドプラザ整備・地場もん屋総本店など66事業
3 合併によるプラス効果
合併によるプラス効果の事例として、市全域できめ細かな行政サービスと中山間地域での消防力強化があげられる。旧町村単位に総合行政センター(6か所)を設置して、旧町村で市民生活に密着した事務等を担こととした。あわせて旧富山市のシステムを旧町村地域へ拡大して、小学校区単位を基本とした地域の市民サービスの拠点「地区センター」(市全体で73カ所)を置いた。 中山間地域での消防力強化でも、合併前には常備消防拠点(消防署)未設置の自治体もあったが。合併後には、1町1消防署体制を整え、消防署から遠い中山間地域には合併特例事業によって消防署分遣所を整備した。