抄録
本研究では房総半島南東部に位置する河川(瀬戸川,川尻川,丸山川,温石川,三原川)を対象として,完新世河岸段丘の区分・対比等を行い,その形成期間を見積もった.
瀬戸川,川尻川,丸山川と温石川沿いで4段,三原川沿いで3段の完新世河岸段丘が発達する.これらの段丘は下流側での高度分布から,隆起・離水年代が明らかな完新世海成段丘との対比がおおよそ可能である.このことから完新世河岸段丘は,元禄タイプの地震隆起の影響を受けて,地震間の海水準に応じて形成されたと言える.すなわち,縄文海進に伴って形成された最高位段丘より低位の段丘は,7200年前頃~5000年前頃(期間Ⅰ),5000年前頃~3000年前頃(期間Ⅱ),3000年前頃~AD1703年(期間Ⅲ)の3期間にそれぞれ形成されたと推定される.過去に繰り返されてきたことが今後も起こるならば,1703年の元禄関東地震以降は4回目の段丘形成期であると位置付けられる.なお大正タイプの地震隆起は比較的小さく,河川縦断形に及ぶ影響が少なかったために明瞭な段丘形成をもたらさなかったと考える.
期間Ⅰ・Ⅱに形成された段丘は上流側にはほとんど分布せず,下流側のみに断片的に認められる.これらの段丘は開析が進んでいることもあるが,そもそも段丘が上流側まで発達していなかった可能性も考えられる.期間Ⅰ~Ⅲはそれぞれ,期間Ⅰ:約2200年間,期間Ⅱ:約2000年間,期間Ⅲ:2700年間である.期間Ⅲに形成された最低位段丘に対して,期間Ⅰ・Ⅱに形成された段丘が上流側で分布しないのは,形成期間が短かったためと考えられる.この考えに基づくと,段丘の発達の程度は元禄タイプの地震の発生間隔の長さの影響を受けていることになる.
期間Ⅲに形成された最低位段丘に注目する.この段丘はすべての河川において上流側まで連続よく発達する.瀬戸川と川尻川では最高位段丘との比高は上流側に向かって減じ,瀬戸川の河口から約2.55㎞には最高位段丘と最低位段丘を隔てる遷急点がある.こうした特徴は下流側から上流側に向かった下刻作用の波及を示唆する.下流側で観察される段丘堆積物の層厚は一般に5~6mであり,瀬戸川沿いに見出した堆積物の基底で897±19cal yr BP,丸山川沿いに見出した堆積物上部で306±20cal yr BPが得られた.また段丘面上には近世以前の遺物は認められない.したがって最低位段丘堆積物は1000年前頃~AD1703年の地震隆起直前までの短期間のうちに堆積したと推定される.それ以前の3000年前頃~1000年前頃には,下刻(~側刻)作用が卓越していた可能性が考えられる.
現河川は掘削蛇行を呈しており,1703年の元禄関東地震以降は下刻の過程にある.過去同様に河岸段丘が形成されるとすれば,いつかは側刻過程に転じるだろう.その結果,現在上流側まで連続よく分布する最低位段丘は侵食され,断片的になると考えられる.ただし,次の元禄タイプの地震がいつ発生するのかによってその形態は変わってくる.