抄録
1.農山村への人口移動
近年,都市から農山村への人口移動が継続する傾向を「田園回帰」と称するようになった(例えば,藤山(2014)など)。一方で,その実態や持続性に対して,懐疑的な見解を示す研究もみられる(例えば,坂本(2014)など)。実際,20代~30代コーホート変化率の推移をブロック別でみた場合,1970年代~1990年と比較して,2000年以降における地方圏の人口吸収力は低下していると言わざるを得ない。これは,農山村を多く抱える地方圏からの流出が継続するとともに,いわゆる「地元」へのUターン率の低下が招いた結果である。それでは,「田園回帰」は虚構の現象かというと,必ずしもそうとはいえない。報告者は,「田園回帰」といわれる現象を以下の2点について整理する。
第一に,「田園回帰」はこれまでネガティブに捉えられていた農山村に対して,都市住民がポジティブに評価しはじめたことによる,新たなパラダイムを提示する現象として捉えたい。その際,都市を否定的に捉えるのではなく,都市と農山村の共生を前提とする。新たなパラダイムの出現を意識した一部の都市住民が,農山村へ移動する現象が少なからず見られるようになった。このように,「田園回帰」は社会における価値の多様化に対する受け皿として評価されると考える。
第二に,「田園回帰」現象は一部の農山村に限定されている点である。すなわち,都市住民が移住先に選ぶ地域は,全ての農山村を対象としておらず,特定の地域に集中している。例えば,島根県の離島である海士町では2008年の25~34歳人口が161人であったのに対し,5年後の2013年における30~39歳の人口は197人と,22.4%に増加している。このような現象は,島根県美郷町,徳島県上勝町,宮崎県諸塚村など離島や山間奥地の町村でみられている。このことは,従来の都市からの距離や,交通の利便性といった要素よりも,魅力ある地域づくりとその発信を行っているか否かで差異が見られていると思われる。
2.「自己実現」を求めるための農山村への移動
このような農山村への人口移動の要因として,「暮らしにくさ」による都市のプッシュ要因が挙げられる。一方で,農山村のプル要因はいかなるものであろうか。本報告では,諸富(2003)を参考にして,農山村が置かれたストックを,自然資本(1層),社会資本(2層),制度・組織(3層),人的資本・社会関係資本(4層)の4層に整理した。そして,個々人が求める「幸せ」の価値は最上位に位置づけられ(5層),それを求めようとする行動が「自己実現」であると整理した。かつて,農山村は閉鎖性や隔絶性などの要因で,当該地域に居住する人々のみで価値が再生産されてきた。しかし,今日では交通の利便性が向上するとともに,インターネットをはじめとする多様なメディアにより,農山村の価値は共有されることとなった。その結果,農山村以外の住民もその価値を求めて移動がみられるようになったと考えられる。
したがって,人々は「自己実現」を求めて移動するため,その可能性が薄い地域への流入は少ない。その結果,モザイク的な人口増減の現象がみられるに至った。
3.「暮らしの場」としての農山村の価値
農山村は,伝統的に自然資本に基づく生業で生活を続けてきた。1950年代後半以降は産業構造の変化等により生活が成り立たなくなったため,激しい過疎化に見舞われた。その後は過疎対策等で社会資本はある程度整理された。また,社会における農山村への評価の高まりから「中山間地域等直接支払制度」や「地域おこし協力隊」など制度面での整備も行われている。さらに,地域内においても地域自治組織の設立など,現代的課題に対処できるような組織も整えられつつある。
このように,農山村の基盤が整いつつある中で,その持続性を担保するのは,それぞれの地域における「地域づくり」が鍵を握っていると思われる。小田切(2014)は「地域づくり」に内発性,総合性・多様性,革新性を必要としていると指摘している。それにより,農山村における既存の生活に対して,新しい価値を上乗せすることで農山村が持続するとしている。これまで,農山村では人々が現実的に生きていくための「生活」から,自己実現を求める「暮らし」にその関心が移りつつあるといえよう。そして,その現場こそが「暮らしの場」であり,出身者以外の住民も関与できる余地が存在している。「暮らしの場」にこそ農山村の真の魅力があるといえる。