日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 108
会議情報

発表要旨
デリー都心部になぜ高層ビルが建設されないのか
その意味と大都市圏の空間構造に及ぼす影響
*日野 正輝由井 義通SHARMA Vishwa Raj
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録


1.はじめに

小長谷(1997,1999)は,1980年代後半以降の東南アジアの首都の都市化について,過剰都市化の側面を残しながらも,FDIに牽引されてフォーマル部門が大きく拡大し,新中間層が増大した姿を捉えて,FDI型新中間層都市モデルを提起した。そのなかで,FDIの増大に対応して,都心部において中枢管理部門が集積し,高層ビルが林立する業務空間の出現をみていた。

これに類した動きは1990年代の中国においても現れた(北京:CBD,上海:浦東・陸家嘴)。インドも遅ればせながら,1991年新経済政策以降,本格的な経済自由化を進め,FDIの急増を見た。しかし,デリー都心部には,東南アジアや中国の大都市の都心および都心周辺部に見られるような高層ビル街が出現していない。本研究は,このデリーの特殊性に注目し,その理由と結果について考察したものである。

2. デリーの都市計画と高層建築に対する制約

デリーでは,1957年にDelhi Development Actが制定された。当該法により,Delhi Development Authority(DDA)が国の直属機関として法制化され,デリー都市圏のマスタープランの作成とその実施の責任を担うことになった。すでに3次のマスタープランが策定されているが,いずれもデリーへの人口集中を抑制することを基本目標に掲げながらも,将来人口予測に対応した都市圏全体のゾーニングおよびインフラ整備計画を描いている。

商業地の開発計画は,商業地を階層区分し,それぞれの規模と機能が指定している。大都市圏レベルの中心地は3ケ所指定されているが, CBDとみなしうる地区はコンノート・プレイス周辺だけである。

コンノート・プレイス周辺,とくにコノート・プレイスの環状道路とその南約500mに位置するトルストイ道路に囲まれた範囲に高層ビルが30棟余り見られる。しかし,建設年次をみると1970年代,80年代ものが最も多く,2000年代以降に建設された高層ビルは4棟のみである。ゾーン計画における用途地域区分では,当該区域の外側は低密度な住宅地区に指定されている。そのため,業務地域の外方への拡大は計画上不可能である。建物の容積率は,コンノート・プレイス周辺では,1990年以降150%と業務地区としては異常と思える低い基準になっている。したがって,コンノート・プレイス周辺で上記の基準を満たして高層ビルを建設することは難しい状況にあると判断できる。

オフィス需要の増大に対応する地区として,マスタープランにおいて第2階層の中心地に位置づけられているDistrict Centerが想定される。しかし,District Centerは計画上あくまでもDistrictの中心地であって,その規模が限定的である。そのため,大きなオフィス集積地の開発には至らないと見てよい。

3. 郊外都市グルグラムにおける業務地区開発

デリー都市圏では,増大したオフィス需要に対応した大規模な開発はデリー州を越えた郊外都市,特にデリーの南西(国際空港に近接した)ハリヤーナー州グルグラム(2016年グルガオンから名称変更)において見られる。ハリヤーナー州では,1980年代からライセンス制の下で民間デベロッパーによる都市開発を認めてきた。現在,デリー州との境界寄りの位置にDLF Cyber Cityが立地している。ここには国内企業よりも世界的に知られる多国籍企業が進出し,今後も業務空間の拡大が見込まれている。

4. おわりに

以上の通り,デリー都心部では都市計画により高層ビルの建設は難しい。また,デリーのマスタープランの基本スタンスはデリーへの人口集中を招く機能集中を抑制することにあり,高層のオフィスビルが林立するような業務空間の形成は州を越えた郊外都市,なかでもグルグラムなどで見られる。

付記

本研究には,科学研究補助金基盤研究(A)「現代インドにおけるメガ・リージョンの形成・発展と経済社会変動に関する研究」(2011-2014年度,代表者,岡橋秀典)と同「現代インドの経済空間構造とその形成メカニズム」(2014-2017年度,代表者,友澤和夫)を使用した。
著者関連情報
© 2017 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top