日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: P104
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発表要旨
ブラジル・セルトンの水文環境と人間活動(9)
―日系入植者たちの社会・経済の変遷―
*山下 亜紀郎羽田 司宮岡 邦任吉田 圭一郎OLINDA Marcelo Eduardo AlvesSHINOHARA Armando HidekiNUNES Frederico Dias大野 文子
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抄録
1.はじめに

 1908年にブラジルへの最初の日本移民が渡伯して,100年以上が経過した.その間に日系入植者による入植地は,南部のサンパウロ州とその周辺地域から,北部のアマゾンや北東部のセルトンといった辺境の地へも拡大していった.そのうち,本研究が対象とする北東部のサンフランシスコ川中流域では,1983年にサンパウロのコチア産業組合中央会から,大規模灌漑プロジェクトが実施されたクラッサへ,29家族が農業移民として入植した.また,それ以前にも単独で当地域に入植し,先駆的に果樹栽培を始めていた人たちもいた.そのような中,1984年には,日系入植者たちのコミュニティとして,サンフランシスコ川中流域日伯文化体育協会(ACENIBRA)が設立された.

 このように多くの日系人たちが入植した1980年代から30年以上が経過した現在,当地域における日系人たちも世代交代が進みつつあり,その経済的・社会的状況は変化しているものと考えられる.そこで本研究では,サンフランシスコ川中流域のペトロリーナ・ジュアゼイロ周辺地域における,日系人世帯の社会経済的特性について,過去から現在までの変遷を踏まえながら明らかにすることを目的とする.

2.クラッサ入植者の農業経営の変遷

 クラッサ入植者は,アメリカやヨーロッパ諸国向けのブドウ栽培を拡大させた.しかし,1980年代後半になると巨大組合となったコチア産業組合は経営不振に陥った.クラッサ入植者は既存市場との取引を継続するため,自分たちで後継組合としてのCAJ(Cooperativa Agricola Juazeiro)を1994年に設立した.現在の組合員数は47人であり,ブドウを中心としながらマンゴー,メロン,グァバなども販売している.

 農家の事例をいくつか挙げると,1983年の最初の入植者の1人であるT氏は,妻と妻の弟の3人で野菜やブドウを栽培し始めた.1987年頃に野菜をやめてブドウ専業になった.1990年頃,妻の弟が結婚したのを機に,農地の半分(4ha)を分与した.その後,T氏も義弟も農地を拡大し,現在ではそれぞれ9.6haと9.5haとなっている.一方,1989年にクラッサに入植したU氏は,ブドウ6haとマンゴー10haの栽培を始めた.1999年にはマンゴーをやめブドウ専業になった.2006年には隣の土地区画も購入してブドウ畑を拡大し,現在では30haになっている.子どもは3人おり,長男が後継者として農業に従事している.

3.先駆的入植者の世代交代

 1970年に単独でジュアゼイロ南西のサリトルに入植したH氏は,1980年から20haでマンゴーの栽培を始めた.H氏は一代で自身のマンゴー農場を300haにまで拡大させ,独自に販路も開拓し,一財産を築いた.H氏には6人の子どもがおり,いずれも12歳頃からマンゴー農場を手伝いながら育った.現在ではH氏は農業を引退しているが,農場は6人の子ども(あるいは孫)に分与され,それぞれが皆マンゴーや野菜などの農業経営を続けている.

4.ACENIBRAの会員構成と活動

 ACENIBRAの会員数は現在75世帯である.日本で生まれ渡伯した会員もいるが,大半はブラジルで生まれ育った日系人である.農業を生業とする者が多いが,若年層になると農外就業者の割合が高い.年配者ほど日本語能力が高い傾向にあるが,若年者であってもそれなりの日本語能力を有する者もいる.

 ACENIBRAの会館には,毎週日曜日に30人ほどの会員家族が集まり,ゲートボールや和太鼓の練習などが行われている.主な年中行事としては,7月の運動会,8月の盆踊り大会,11月のビンゴ大会などが挙げられる.それらの中には,日系の会員家族だけでなく近隣の非日系人も多く参加するものもあり,地域社会全体との融和にも寄与している.

5.おわりに

 サンフランシスコ川中流域に当初入植した日系人の大半は,灌漑果樹農業に従事し,現在まで経営規模を拡大させながら継続してきた.一方で,農外就業者も増えており,就業構造は多様化している.ACENIBRAを中心に日系人コミュニティとしての活動が行われているとともに,ホスト社会との融和も進んでいる.
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