チェコは近隣諸国に蹂躙されてきた歴史を有する。それと関連付けるのは早計かもしれないが、チェコの人びとの想像力/創造力は、希望の持てない日々のなかで育まれたものだったのではないだろうか。空想によって造形物に命を吹き込むことの代表例は、人形劇であろう。1871年にドイツ帝国に支配されてから、チェコでは書籍をはじめとする書き言葉ならびに演劇やオペラといった話し言葉でのチェコ語の使用を禁止された。しかしながら、人形劇だけはチェコ語の使用が許可されていた。このため、人形劇はチェコの人びとがアイデンティティを希求する場所となり、人形劇場は子どもたちのみならず、大人も集まる娯楽の場ともなっていった。人形劇では非現実なこと、例えば空を飛ぶことも可能であることから、チェコの人びとの想像力/創造力を大いに掻き立てたであろう。
チェコスロヴァキア社会主義共和国のみならず共産主義の国々は、あらゆる表現に対する厳しい規制下にあった。本研究はチェコのモラヴィア地方のズリーンZlinとボヘミア地方のプラハに創設されたアニメーション・スタジオを中心に、表現の自由が制限された時代において創作活動がいかに行われたかを明らかにする。その際、チェコスロバキア社会主義共和国の誕生した1960年を起点とし、人間の顔をした社会主義と称して自由化政策が行われた1968年のプラハの春までを「草創期」、プラハの春後の1969年からチェコの知識人が発表した言論の自由をはじめとする人権侵害に対する抗議文書憲章77の発表される1977年までを「成長期」、憲章77発表後の1978年からビロード革命を経て国家の消滅に至った1989年までを「発展期」とする。