本研究は,佐賀県唐津市の海岸林「虹の松原」(230ha.うち216haが国有林)を事例に,住民による小規模で散発的な保全活動が,行政によって制度化され,大規模で組織的な活動に変容した過程とその影響を明らかにする.現地調査は2018年12月から2019年10月にかけて,保全活動団体や行政担当者,研究者,政治家などへの聞取り,地元紙「唐津新聞」の分析,保全活動などの観察により実施した.
この制度は,虹の松原をマツ枯れ対策や防災機能を踏まえて汀線・内陸・縁辺の3区域に分け,区域別に植生の目標と活動・事業内容を定めたものである.汀線部(62ha)では,「NPO法人唐津環境防災推進機構KANNE」(2006年設立)を推進団体として,住民・市民を集めて林床整備を行い,下草のないマツ単純林を目指す.内陸部(129ha)では,県や市が広葉樹を伐採し,マツ単純林へ移行する.縁辺部(13ha)では,広葉樹が発達した現状を維持する.
制度化に至る過程は,黎明期(2000年以前),制度化前兆期(2000〜2006年),制度化進行期(2006〜2009年)の3期に整理することができる。制度化前兆期には,農業工学が専門の研究者と地元住民による「虹の松原七不思議の会」(2000年設立)が,林内でショウロを発生させて地域活性化に活かそうとする運動を展開した.同団体は,国(林野庁)と議論を重ねた結果,2001年5月にショウロ菌の散布や下草刈りなどが許可され,翌年,国と正式に貸借契約を結んだ.その後,地元の小中高校や,唐津市市街地で活動していた他の団体も,同団体と協力して虹の松原での保全活動に相次いで参入するなど,地域的な波及もみられた.制度化進行期になり,制度化の直接的な契機になったのが,地元選出県議による,観光振興を意識した広葉樹伐採と過密樹の間伐を求める質疑であった(2006年6月).県知事や県の環境系部局(非林政部門)もこれに賛同し,鉄道が通る縁辺部を優先とした全域のマツ単純林化を志向して,国と市との協議を進めた.国は,林学で合理的とされる樹種構成(海側はマツ単純林,内陸側は広葉樹)を支持するため,県とは大きな意見の相違があったものの,縁辺部の方針以外について県に譲歩して,基本計画を策定した.2008年9月,国・県・市は,虹の松原の再生・保全に向けて連携を強化する覚書に調印した.
制度化により,虹の松原の保全活動は大規模・組織的になり,全国的な先進事例として注目されるようになった.この制度化の特徴は以下のようにまとめられる.
(1) マツ単純林を志向する複数の団体による活動が,間接的に制度化につながった.しかし,同じ単純林志向であっても,目的や重視する手段には違いがあった.(2) 制度化において県が強い主導権を発揮できた要因は,マツ単純林を望む地域住民および政治家の存在に加え,玄海原発の核燃料サイクル受け入れに際する国からの交付金も大きかった.(3) この制度化は,国家林政の厚い障壁を,地域の市民社会と県政(非林政部門)が打ち砕いたという意義があった一方で,マツ単純林を追求するイデオロギーが科学的な専門知を一部揺るがせたともいえる事例である.