主催: 公益社団法人 日本地理学会
会議名: 2022年度日本地理学会秋季学術大会
開催日: 2022/09/23 - 2022/09/25
近年, 世界遺産登録件数は1,150を超え, さらに増加し続けている. しかし, 増加に伴って保全・保護の難しさが指摘されている. 本研究の対象としたベトナム中部トゥアティエン・フエ省のフエの遺跡群は, 14の遺跡で構成され, グエン朝時代(1802〜1945年)の都市計画が評価されている. 本研究の対象としたチャンハイ砦はそのうちの一つで, 最も海岸寄りに位置する砦のみ登録されているが, BAVH(Bulletin des Amis du Vieux Hué 「雑誌 古都フエの友」, 以下BAVH)には総数17の砦が地図上および文中に記載されている. 世界遺産として正しく評価するには, これらの砦群が形成された歴史的背景を理解し, その全体像を把握する必要がある. 本研究では, 1914〜1944年に, ハノイで発行されたBAVH (季刊,デジタルアーカイブとしてWeb上で公開されている)所収の多数の地図や, 掲載された記事を用いて, グエン朝時代の砦群の位置を復元し, その後現在までの各砦の変遷の過程を明らかにする.
フランス軍による植民地化直後の1889年の古地図には, 17の砦群が記されている. これらの砦群は, フエ京城北東隅に位置するチャンビンダイに繋がる一連のものと位置付けられる.
これらの砦群について, BAVHに記載された各砦の形態や内部の特徴をもとに, Google Earth画像上でその痕跡の有無を検証した. 例えば, 現在Tan My村に位置するNo.5の砦は1889年当時, 東西195m, 南北111mで, 東を向いた長方形と記されている. その周囲には幅10mほどの深い堀があるとされる. Google Earth画像上ではこの砦とほぼ同じ大きさで, 住宅地を囲む道路が確認できる. なお, 砦の構造は敵を攻撃するために, 水路に面した側はレンガ等で防御されているが, 陸側は脆弱であるため, フランス軍に背後から攻められたと記載がある.
17ヶ所の砦群の成立と荒廃について, BAVH所収の1819〜1889年の7枚の古地図, 1914年発行のBAVHの記載内容, 1950〜2021年の地形図, Google Earth画像等の情報を整理した.
砦の建設は1819年頃から始まったが, フランス軍がベトナムに対して攻撃を開始した1850年代半ば以降, 1882年のフランス植民地が完成する間に, 急速に砦の建設が進んだ. その後, Hoa Duan湖口がThuan An湖口に変わった20世紀初頭以降, 多くの砦が荒廃していったことが読み取れる.
ここに述べた17ヶ所の砦群のうち, 現在, 世界遺産として登録されている砦はNo.1の一ヶ所のみであるが, これらの砦群としての成立と荒廃の過程を踏まえて, チャンハイ砦群全体を再評価することが重要である.