1.背景と目的
ナベヅル(Grus monacha)は全長約1mの小型のツルである。その世界の生息数はおよそ15,000羽とされ,国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで絶滅危惧種(VU)に指定されている。ナベヅルは夏季にアムール川流域周辺で繁殖し,冬季に日本・朝鮮半島・中国東部などで越冬しており,このうち日本は鹿児島県出水市周辺と山口県周南市周辺の渡来地が特別天然記念物の指定を受けているように,古くからその主要な越冬地として知られている。特に鹿児島県出水市周辺には,世界の生息数の約9割のナベヅル,そしてナベヅル同様に国際的な絶滅危惧種(VU)であるマナヅル(Grus vipio)の約5割が飛来しており,同地は世界的なツル類の越冬地として知られている。
一方,個体数が出水市周辺に集中することにより,感染症の発生等による絶滅リスクが懸念されることから,2000年代初頭から環境省を中心として日本国内におけるナベヅルとマナヅルの新越冬地の形成が検討されている。その候補地として,これまでに断続的にツルの越冬が確認されてきた佐賀県伊万里市,長崎県諫早市,高知県四万十市などが挙げられており,いずれの地域でも越冬環境の整備,デコイ等を用いたツルの誘因活動,地域との協力体制のしくみづくりが現在まで行われている。本報告の対象地域である愛媛県西予市石城地区もこうした地域の一つであり,近年その定着に向けた各種取組が行われている。
現在までツル類の出水市周辺へ集中的越冬に大きな変化は見られないものの,出水市以外の地域におけるツル類の越冬状況,遊動域,そしてその環境選択性などのローカルな状況については明らかではない部分も多い。また,将来的に越冬地分散が進んだとしても,各越冬地のツル類の収容可能羽数については,具体的なツル類の遊動域や域内での環境選択性、そしてこれらと強く関連すると想定される営農状況を踏まえた検討が必要であろう。
そこで本研究では愛媛県西予市石城地区に飛来するナベヅルを対象として,その近年の観察記録から遊動域を特定するとともに,その域内の環境選択性をナベヅルが利用する圃場の営農状況と越冬環境整備により設置されたデコイや湛水田および主要道路との距離から検討する。そして,これらの結果と飛来前後の餌資源量調査とを踏まえて対象地域における収容可能羽数を推定する。
2.方法
愛媛県西予市石城地区は宇和盆地西端に位置する農村地域である。同地区は西南北を比高300m前後の山地に囲まれており,山裾に集落が帯状に分布し,地区中心部に耕地整理された方形の水田が広がっている。同地区へのナベヅルの飛来は観察記録上では2002年から記録されており,以降現在まで断続的にその飛来が見られる。特に2015年に90羽のナベヅルの越冬が確認されたことをきっかけとして,渡来重点エリアの設定,地域住民による見守り隊の設置,デコイ・湛水田・ねぐらの設置などの越冬環境整備,各種計画の策定などの地域との協力体制のしくみづくりが現在まで行われている。
本報告では2019年度から2022年度までの期間を対象として,同期間中の観察記録から石城地区におけるナベヅルの遊動域を特定し,遊動域内の各圃場とデコイ・湛水田・主要道路との距離からナベヅルが嗜好する圃場環境について検討する。また,2022年度については飛来前の土地利用調査と飛来前後の餌資源量調査を実施しているため,上記の検討に加えて,土地利用種別および耕起の有無とナベヅルの環境選択性との関係,そして餌資源の減少量を踏まえた石城地区におけるナベヅルの収容可能羽数の推定を実施する。それぞれの結果の詳細については,本報告の発表にて紹介する。
※本研究を実施するにあたりJSPS科研費20H02279の助成を受けた。