日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: S506
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国際理解教育の社会実装について考えるために
「多文化共生都市」別府における2つの個人的経験
*中澤 高志久木元 美琴
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抄録

本報告では,別府における中澤の個人的な経験を手掛かりに,初等教育における国際理解教育について2つの論点を提示したい.1つは,外国にルーツを持つ子供にとっては,日本で学び,暮らすこと自体が国際理解教育であるという論点である.もう1つは,国際理解および多文化共生は,衣食住にとどまらず死生観において達成されるべき問題であるという論点である.

 2000年の立命館アジア太平洋大学の開学以降,別府市の外国人人口は急増した.その多くは留学生や外国人研究者が占めるが,多文化共生インフラが整ってくるにつれ,大学関係者以外の外国人も増加した.多文化共生インフラの1つに別府インターナショナルプラザがある.月1回開催される「地球っこわくわく広場」には,外国にルーツを持つ子供が集まる.「地球っこ」の勉強会で,中澤はスリランカから来た小学校3年生の男子の勉強をみたことがある.来日からかなりの時間が経過しているようで,立派な大分弁を話し,平仮名はすらすら読めるが,漢字にはかなり苦戦している.学習内容は,「おかあさんが一生懸命白菜を洗って塩を振っておもしをのっけておつけものを作っている」という詩の解釈であった.彼は白菜,おもし,おつけものを見たことがなく,詩が何を描写しているのか理解できない. この教材は,工夫次第では外国にルーツをもつ子供が漬物という日本文化を知る契機になりうる.しかし,想定されている学習内容は,漬物を見知った「日本人」であることを前提としていた.中澤の技量では,彼にこの詩の内容を説明することはできず,おそらく彼に「国語ができない」という自己評価を与えて終わってしまったのではないかと反省している.

 ムスリムの学生・研究者が増加したことを受け,2008年,寄付金を原資として別府に九州セントラルマスジドが開設された.それ以前から,別府ムスリム協会は定住・永住者の増加を見越して土葬墓地の適地を探していた.現在,日本では死者のほぼすべては火葬されるが,ムスリムにとって火葬は死者を冒涜するに等しいタブーとされるからである.2018年,協会は別府市に隣接する日出町に土地を購入し、墓地開設に向けて行政と協議しながら手続きを進めていた.ところが住民が町議会に墓地開設の撤回を求める陳情書を提出するに至り,事態は暗転する.住民が陳情の理由としたのは,墓地からため池への排水流入と風評被害であった.日出町は町有地を代替地として提案し,事態の収拾を図ったが,今度は隣の杵築市の住民が同様に水源への影響を懸念して反対運動を始めた.2024年8月に当選した日出町長は,町有地を代替地として売却しない方針を別府ムスリム協会に伝え,土葬墓地の建設は頓挫してしまった.日本で亡くなるムスリムは,土葬墓地の有無にかかわらず存在する.別府では,これまでカトリック別府教会が墓地にムスリムの遺体を受け入れてきたが,すでに受け入れる余地はなくなった.新たな受け入れ先として名乗りを上げたのは,大分トラピスト修道院であった.そのことが報道されると,市街地から遠く離れたこの修道院に右翼団体の街宣車がやってくるなど,受け入れに対する批判を受けることもあったという.しかし,中澤に応対してくれた修道士は,「当然のことをしただけ」「同じ宗教者として、困っている人がいたら,手を差し伸べるのがあたりまえ」と語った.埋葬されるのは,大学関係者だけではない.まだ新しい土饅頭には,インドネシア出身の10代の技能実習生が埋葬されていた.彼は熊本で砂利採取の仕事をしていて事故に遭い,埋葬地を求めてようやくここに安息の地を得たのである.政府が誘致する留学生や外国人労働者の中には,当然ムスリムもいる.彼・彼女らは,留学生・労働力としては歓迎されても,万一亡くなったら日本では尊厳ある埋葬が叶わない.そして,そうしたムスリムに手を差し伸べ,死者を弔っているのは,カトリック教会である.初等教育段階であっても,一般常識を揺さぶるこうした現実から深められる国際理解があるのではないか.

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