抄録
【はじめに】 関節の不動にはギプス固定などにおける機械的刺激の欠如によるものの他に、脊髄損傷などの麻痺における不動が存在する。我々の先行研究において、脊髄損傷2週後の膝関節の病理組織変化を観察した結果、滑膜様組織の増生、小型リンパ球の浸潤、関節軟骨表面において紡錘型細胞による膜状組織の増生、脂肪細胞の萎縮を認めたことを報告している。また、損傷時より弛緩性麻痺を呈していた後肢が、脊髄損傷2週時において痙性もしくは反射様の動作が後肢全体に認められていた。関節構成体以外の所見としては、ギプス固定後の坐骨神経周囲の変化の報告がなされており、神経束と神経周膜の密着、神経周膜の肥厚が出現したと報告されている。今回、ラット脊髄損傷2週後における坐骨神経周囲組織の変化について検討した。【方法】 実験動物は9週齢のWistar系雌ラット6匹を使用した。無作為に選んだ3匹のラットに対して、椎弓切除後にT8-9胸椎レベルを完全に離断し、次いで筋および皮膚を各々縫合し、脊髄損傷モデルを作成した。また、残りの3匹を対照群とした。脊髄損傷ラットに対しては、手圧排尿/排泄を毎日2回行った。また、全てのラットの飼育中には行動に制限を加えず自由に移動、摂食、飲水を可能とした環境設定とし、後肢関節の可動域を変化させるような介入は加えない事とした。2週間の飼育終了後、実験動物を深麻酔後、可及的速やかに両側の後肢を股関節から離断し、皮膚を剥離して標本として採取した。採取後は10%中性緩衝ホルマリン溶液にて組織固定を行い、Plank Rychlo液にて脱灰操作を行った。その後、標本を大腿部の中間部にて大腿骨長軸を垂直に切断し、大腿部断面標本を採取した。次いで5%無水硫酸ナトリウム液にて中和操作を行い、脱脂および脱水操作後にパラフィン包埋を行った。標本を滑走式ミクロトームにて3μmにて薄切した後に、ヘマトキシリン・エオジン染色を行い、光学顕微鏡下で坐骨神経周囲の観察を行った。脊髄損傷後2週の脊髄損傷群と同週齢の対照群の観察肢は、各3匹6肢とした【倫理的配慮】 本実験は、金沢大学動物実験委員会の承認を得て行われた。なお、飼育方法に関しては金沢大学宝町地区動物実験指針に基づいて行われた。【結果】 対照群では、坐骨神経内の神経束は神経周膜と遊離しており、神経束と神経周膜の間に空間を認めた。また、神経周膜そのものも同心円状の多層構造を示していた。これに対して脊髄損傷群では神経束と神経周膜最内層の密着が観察された(6肢中6肢)が、同心円状に配置する神経周膜間には、密着傾向を示す例(6肢中3肢)とそうでない例(6肢中3肢)が見られた。【考察】 不動における関節可動域制限を筋性、結合組織性、関節性、神経性および皮膚性と分類されている。また、関節の可動性低下の初期症状は筋性が主であり、不動期間の長期化により他の要素が複合的に合併されると報告されている。ギプスによるラット膝関節固定2週後の坐骨神経周囲を観察した先行研究にて、坐骨神経周囲の神経束と神経周膜の密着および神経周膜の肥厚を認めたとしている。今回のラット脊髄損傷モデルにおける不動後肢の坐骨神経周囲では、ギプス固定モデルと相違し、神経束と神経周囲最内層の密着は観察されたが、神経周膜間の密着傾向は軽度にとどまり、同心円状の配置がある程度維持された結果であった。脊髄損傷後の後肢動作の変化として、刺激を与えた際に生じる”kick movement”が、およそ損傷2週時から生じると報告されている。我々の先行研究においても、損傷時より弛緩性麻痺を生じていた後肢は、損傷2週から痙性もしくは反射様の動作を観察したと報告している。これらのことより、ギプスなどの強制された固定での病理組織変化とは異なった要因として損傷2週時から確認される後肢の不随運動などが関与している可能性が考えられる。また、今回の正常ラットでは神経束と神経周膜間に空間を認めていたが、この空間に関する報告は我々が検索した限り見当たらず、標本作成過程における人工像である可能性が高い。しかしながら、今回の脊髄損傷モデルにおいてこの人工像が出現しないという結果は、神経束と神経周膜の密着、ひいては神経束周囲の柔軟性や滑走性の低下などといった神経性の関節可動域制限を引き起こしている可能性が示唆された。【理学療法学研究としての意義】 ラット脊髄損傷モデルの坐骨神経周囲は、神経束と神経周膜内側部の密着を認め、神経束の柔軟性や滑走性の低下を引き起こしている可能性が考えられた。また、神経周膜間の密着の程度は様々であり、後肢の痙性や反射様の不随運動に関与している可能性が示唆された。