抄録
【はじめに、目的】 脳損傷により高次脳機能障害を有する場合、身体機能のみでなく認知機能が生活に大きく影響する。特に記憶障害を有する場合、移動能力は有していても日常生活のスケジュール管理が困難で自力で外出できないなどの問題が見られる。そのような患者に歩行訓練を施行する場合、目的地までの道順や目的地での行動など、記憶機能も含めた訓練内容が有効だと思われる。一方記憶障害の代償手段としては、メモリーノート(以下ノート)などが有効となる場合が多いが、その定着には難渋する例も少なくない。今回、頭部外傷後遺症により著明な記憶障害を呈した症例に対し、ノートを使用した歩行訓練を実施した。さらに、ノートへの意識付けを強化する為に自己教示法を用いた。結果、ノートへの意識付けが促され、ノートを使用しながら歩行することが可能となったので報告する。【方法】 1.対象者 40歳代、男性。20歳代で頭部外傷受傷後、20年以上経過した後当院外来で週3回の訓練を開始した。Br-s右上肢5、手指5、下肢4~5、体幹及び右上下肢に失調症状を認めた。食事、整容、書字は右手で実施していた。移動手段は、屋内は車椅子自立、屋外は車椅子介助または杖歩行軽介助であった。IADLは家族が行っており未実施であった。自宅内のADLは入浴以外自立、外出や一日の予定の管理は家族が行っていた。高次脳機能評価は、WAIS-3にてVIQ97、PIQ90、FIQ93、RBMTにてSPS2点、SS0点であった。2.訓練方法 本症例は、予定の管理などが自力では困難であったが、それに対して代償手段などを用いる経験が乏しかった。そこで今回、まず代償手段としてノートに意識を向けることを目的に歩行訓練を実施した。5つの過程から成る2通りの歩行コースを設定し、毎回交互に使用した。歩行前に患者自身が歩行の道順をノートに書いた後、ノートに沿って歩行を実施するよう促した。自己教示法として、歩行前に「分からなくなったらノートを見る。」と患者自身に述べさせた後で歩行を開始した。自己教示法の効果を検証する為、シングルケース実験法を用いた。自己教示法を用いない訓練(以下、A期)と用いた訓練(以下、B期)を10回ずつ計40回実施した(A1期、A2期、B1期、B2期)。A期は、歩行中コースが分からなくなるなど困難が生じたらノートを見るよう促しを行い、B期はそれに加えて歩行開始前に「分からなくなったらノートを見る。」と患者自身が述べた上で歩行を開始した。効果判定は、歩行コースのうち自らノートを確認して進めた過程の数を得点としてカウントし、A期とB期を比較した。【倫理的配慮、説明と同意】 本研究に当たり、本人及び家族に事前に研究協力の同意を得た。【結果】 B1期、B2期は全ての回においてA1期の中央値以上の得点であったのに対し、A2期では30、31回目に点数の低下が見られた。B1期は4回、A2期は2回、B2期は9回がA1期の第1四分位範囲よりも高い点数だった。 A2期ではB1期の訓練効果の持続が見られたが、28回目より点数が低下した。B2期では1回目より満点となり,34回目以降継続した。A期からB期へ移行した初日には点数の大幅な増加が見られた。【考察】 今回、著明な記憶障害を有する患者に対し、メモリーノートを用いて歩行の道順を想起するという訓練を実施した。自己教示法を用いてノートへの意識付けを促した結果、自発的にノートを確認する行動が見られるようになった。これは、「分からなくなったらノートを見る」と言語化することにより、ノートを参照するという行動を自ら強化することができたのだと考える。B1期、B2期共に1回目の時点で前日と比べて点数が大幅に増加したことは、自己教示法の即時効果を示していると思われる。また、B1期の効果はA2期の前半まで持続が見られたものの、後半の28回目より再度点数が低下した。これは、自己教示法の効果が減少したことを示し、行動の定着には更に自己教示法を継続する必要があるのだと思われる。自己教示法は、声に出して言う、小声でささやく、心の中で言う、など段階付けた使用法が提唱されている。本症例に対しても今後段階付けて自己教示法を継続し、行動の定着を図る必要があると思われる。【理学療法学研究としての意義】 記憶障害を有する患者に歩行訓練を実施する場合、身体機能のみでなく認知機能にも介入を行うことで、生活に役立つ代償手段の使用能力を獲得できる可能性を示唆できたと考える。さらに自己教示法を用いることで、代償手段への意識付けが強化できることが示唆された。