抄録
【はじめに、目的】 人工膝関節全置換術(以下TKA)は変形性膝関節症に対する標準的手術療法である.近年,手術に伴う侵襲度は軽減される傾向にはあるが,軟部組織への侵襲は否めず身体機能面に及ぼす影響が考えられる.一方、立位バランスを保持する因子として固有感覚機能の影響が指摘されている.TKAを施行された患者において,術前後における静的立位バランスの報告は多いが,動的立位バランスの報告は少ない.今回,TKA術前後でのリーチ動作における立位バランスと膝関節位置覚の関係について検討したので報告する.【方法】 対象は当院にて膝関節症の診断によりTKA を施行され,中枢神経系に障害を有さない患者14例14膝とした.性別は男性1例女性13例.平均年齢は73.3±4.8歳,入院期間は43.9±20.0日であった.評価項目として重心動揺およびリーチ測定と膝関節誤差角度,10m歩行速度の計測を術前・抜糸翌日・退院時に行った.重心動揺測定は重心動揺測定装置(ANIMA社製グラビコーダGS3000)を使用した。被験者は開眼で両脚を平行に10cm開いた状態で測定プレート上に起立し,両脚安静立位保持および前方・術側・非術側方向への計4種類を各20秒間計測した.リーチ動作においては床面と平行に上肢を挙上させ,できる限り最大位置まで動作を行うよう指示した.なお,リーチ動作は各方向とも1回の試行後,実測を行った.重心動揺測定項目は総軌跡長,最大重心移動距離とした.膝関節誤差角度は被験肢の膝関節裂隙中央,外果部にマーカーを貼付.被験者は開眼にて目標角度まで片側膝関節を他動伸展させ,その角度を記録し,その後開始肢位に戻し閉眼にて覚えた角度まで他動伸展させ,その角度を記録した.記録はデジタルカメラで撮影し,画像ソフトにて目標角度との誤差角度を求め,施行3回の平均値を算出した.10m歩行速度は,最大歩行速度を2回計測し,平均値を算出した.統計解析は,Wilcoxson t-検定を用いた.【倫理的配慮、説明と同意】 本研究の被験者は十分な説明のもと,文書で同意を得られた患者を対象とした.【結果】 10m歩行速度:術前12.4±4.5秒,抜糸後13.0±4.9秒,退院時10.8±3.0秒であり,抜糸後に比べ退院時に有意に高値を示した(p<0.05).安静立位時の重心動揺の変化:総軌跡長は,静的立位では術前31.2±18.5cm,抜糸後38.4±16.7cm,退院時36.8±14.4cmであり,抜糸後に大きくなる傾向があった(p=0.055).リーチ動作:前方では術前23.8±7.1cm,抜糸後23.3±6.0cm,退院時23.4±4.4cm、術側では術前21.0±9.6cm,抜糸後18.7±7.7cm,退院時19.6±5.8cmであり,有意差は認めらなかった.非術側では術前19.4±7.2cm抜糸後18.3±7.9cm,退院時20.5±6.8cmであり,抜糸後に比べ退院時に有意に高値を示した(p<0.05).重心動揺の総軌跡長は、術側へのリーチ動作では術前56.9±18.5cm,抜糸後65.3±28.2cm,退院時66.4±27.1cmであり,術前に比べ抜糸後および退院時は有意に高値を示した(p<0.05).前方および非術側へのリーチ動作では,有意差は認められなかった.最大重心移動距離は,前方および術側へのリーチ動作では有意差は認められなかったが、非術側へのリーチ動作では術前11.6±5.5cm,抜糸後12.6±3.1cm,退院時14.7±5.9cmであり,術前に比べ退院時は有意に高値を示した(p<0.05).膝関節誤差角度: 術前3.9±1.9°,抜糸後4.4±2.7°,退院時4.2±2.4°であり,有意差は認められなかった.【考察】 術側へのリーチ距離は術前後で変化はなかったが,総軌跡長は術前に比べて術後に有意に高値を示した.この結果より,手術侵襲によって固有感覚機能が低下し,重心動揺が増大したと考えられた.他方,関節位置覚においては,過去の報告(瀧ら,2010)と同様に術前後で差が認められなかった.このことから関節受容器の影響は少なく,手術侵襲による筋や腱組織内受容器への影響があったと考えられた.抜糸後から退院時までに,静止時およびリーチ動作を行った際の総軌跡長に変化がなかったにもかかわらず,歩行速度と非術側へのリーチ距離が改善したことは,興味深い.退院までの短期間で術側下肢の固有感覚やバランス能力の改善は十分ではなかったが,筋出力の改善が非術側を含めた動作能力の向上に繋がったのかもしれない.【理学療法学研究としての意義】 TKA術前後の動的な重心動揺測定と関節位置覚の関係を調査した報告はほとんどない.本研究において筋や腱組織内への手術侵襲による術後のバランス機能低下が示された.一方,歩行能力の改善には非術側の動作能力の向上が関わっている可能性が示唆されるなど,TKA術後患者の理学療法プログラムを立案する上で重要な知見が得られた.