抄録
【はじめに、目的】 わが国における人工膝関節置換術(以下,TKA)の入院期間はおよそ1ヶ月であるのに対し,諸外国における報告の多くは5日から1週間程度と非常に短い.諸外国では術後当日から加速的な理学療法介入を行うrapid recovery protocolを実施し,身体機能の向上を図ることで早期退院を可能にしている.わが国では高齢者数の増加に伴う医療費の増大などから入院期間の短縮が図られており,TKAにおいても入院期間の短縮が不可欠となることが推察される.しかしながらTKA後の早期理学療法介入や早期退院に関しては賛否両論あり,その予後や安全性などが議論の対象となっている.そこで本研究ではTKA後のrapid recovery protocolにおける安全性の一つの指標となりうる転倒リスクを検討することを目的とした.【方法】 対象は変形性膝関節症によりTKAを行う53名(男性4名,女性49名,年齢73.1±5.0歳,BMI24.8±6.9 kg/m2)とした.転倒リスクの評価は運動機能,注意能力,転倒自己効力感の観点から行った.運動機能評価には膝関節可動域,膝関節伸展筋力,足関節背屈可動域,片脚立位時間,10m歩行時間(ST歩行),Timed Up & Go test (TUG),5回立ち座りテストの計測を行った.注意能力の評価には100から順次3を引く暗算を遂行しながら歩行する二重課題条件下歩行(DT歩行)を用い,二重課題条件下歩行能力の指標としてDT Lag (〔DT歩行時間-ST歩行時間〕/ST歩行時間),周囲に対する注意能力の指標としてDT歩行中の計算課題の正答数を求めた.さらに転倒自己効力感の評価にはModified Falls Efficacy (FES)を用いた.評価は手術1ヶ月前,退院日,術後1ヶ月,2ヶ月,3ヶ月に実施し,統計学的解析には各項目における一元配置分散分析,Scheffeの検定を行った.統計学的水準は5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】 参加者には紙面および口頭にて十分なインフォームドコンセントを行い,署名にて同意を得た.【結果】 入院期間は7.3±0.9日であった.運動機能に関して,膝関節伸展可動域を除く全ての項目において術前に比べ退院日で有意な低下を認めた.退院日に比べ,TUG,5回立ち座りテスト,膝関節伸展筋力,膝関節屈曲可動域は術後1ヶ月,足関節背屈可動域は術後2ヶ月,片脚立位時間は術後3ヶ月で有意な改善を認めた(p<0.01).注意能力に関して,DT Lagは術前後で有意な変化を認めなかったが,DT歩行中の計算課題の正答数は術前に比べ退院日において有意に減少し(p=0.01),術後2ヶ月で有意に改善を認めた(p<0.01).転倒自己効力感に関して,FESは術前後で有意な変化を認めなかった.【考察】 TKA後には運動機能の低下が一時的に生じることが報告されており,本研究においても,膝関節伸展可動域を除く全ての項目において運動機能が低下することが示された.TUGや5回立ち座りテスト,膝関節伸展筋力,片脚立位時間,足関節背屈可動域は転倒リスクの評価として用いられており,これらの機能低下は術後の転倒リスクの増大を示唆している. さらに,二重課題条件下歩行における計算課題の正答数は有意に低下し,この結果から周囲の環境に対する注意能力が低下していることが考えられる.したがって注意能力という観点からも転倒リスクが増大しており,TKA後には運動機能,周囲の環境に対する注意能力という観点から転倒リスクが増大していることが示唆された. 一方でFESは術前後で有意な変化を認めなかった.FESは転倒することなく日常生活動作を遂行する自信を反映しており,TKA後において運動機能が低下し,周囲の環境に対する注意能力が低下した状態にも関わらず,術前と同程度の転倒に対する自信を持った行動が取られることが示唆された. 身体能力に応じた転倒に対する「用心深さ」が必要であることはこれまでに報告されているが,本研究ではTKA後に運動機能や周囲の環境に対する注意能力が低下するにも関わらず,転倒に対する「用心深さ」が失われており,この運動機能や周囲の環境に対する注意能力と「用心深さ」の乖離が転倒リスクをより高めてしまう可能性が示唆された.【理学療法学研究としての意義】 TKA後の早期理学療法介入や早期退院がまだ少ないわが国において,その予後や安全性を検討する取り組みは重要である.本研究の結果はTKA後の運動機能や注意能力に応じた転倒に対する「用心深さ」が失われていることを示す有益なものであり,本研究は一般的に行われる運動機能の回復に併せ,周囲の環境への注意喚起や用心深さを促すことの重要性を示した意義ある研究である.