抄録
【はじめに、目的】ある一つの感覚器が何らかの障害を受けた時に神経回路の再編成が起こり、残存する感覚機能の向上がみられるCross modal plasticityという現象がある。視覚を失った動物は外界の情報を取得するためにひげからの情報(触覚情報)に頼るようになり、その結果ひげに対応する体性感覚野(バレル皮質)に可塑的な変化が起こることのではないかと考えられてきたが、その分子メカニズムは明らかではなかった。筆者の所属する研究室ではこれまでに2 日間視覚を剥奪した動物のバレル皮質において、AMPA受容体のシナプス移行が促進されることでひげの触覚機能が向上することを明らかにした。本研究では、向上した触覚機能が長期間維持されるメカニズムを抑制性伝達に注目し、解明することを目的とした。【方法】生後4 週齢のロングエバンスラットに対し両側瞼を縫合し、7 日間視覚を剥奪した群(視覚剥奪群)と正常群を用いた。まず、ひげの触覚機能を行動学的に検証するためにGap crossing testを用いて評価した。次に、感覚入力の応答性を検証するためin vivo recording法を用いて評価した。この手法はラットのバレル皮質に電極を挿入し、そのバレル皮質に対応する1 本のひげを刺激した際に発生する活動電位を記録することにより、ひげ刺激に応じて発生する活動電位の数が多いほど精緻化された神経回路と言える指標である。また、バレル皮質の感覚入力は視床に伝わり、視床から第4 層に入力し、さらに第2/3層に入力する。この4層から2/3層の神経細胞間に形成されるシナプスの興奮性伝達(AMPA/NMDA比)をラット急性脳スライスからパッチクランプ法を用いて検証した。さらに、異なるひげに対応する2/3 層間で相互作用があり、感覚情報を処理している。この2/3 層間に形成されるシナプスの抑制性伝達(IPSC/EPSC比)を同様の手法を用いて検証した。【倫理的配慮、説明と同意】すべての実験は横浜市立大学の遺伝子組み換え実験及び動物実験に関する内規を遵守し、それぞれの安全委員会の方針にしたがって実験を行った。【結果】行動学的評価として、Gap crossing testでは視覚剥奪群において優れたひげの弁別機能を示した。感覚入力の応答性の評価において、視覚剥奪群では顕著に多くの活動電位が記録された。また、シナプス伝達の評価としてパッチクランプ法では、興奮性伝達において両群で差はみられなかったが、視覚剥奪群において側方向への抑制性伝達の強化が観察された。【考察】本研究では、視覚情報が遮断された際の体性感覚野での局所的な神経回路機能の変化を評価した。視覚を剥奪することで、ひげ触覚機能は向上していたが、バレル皮質第4 層から2/3 層への興奮性伝達は変化しなかった。しかし、異なるひげに対応するバレル皮質の第2/3 層間における抑制性伝達(側方抑制)が強化されることによって、入力された情報のコントラストが強くなり、より鋭敏な感覚機能を示すことが示唆される。【理学療法学研究としての意義】シナプスレベルにおける、脳損傷後の機能回復過程は未知である。代償性機能回復のメカニズムを解明することで、ブレインマシンインターフェイスなど最先端医療への応用をはじめとした新たなリハビリテーション治療の可能性を広げることが期待できる。