抄録
【目的】人工膝関節置換術(以下TKA)は膝痛を改善し、生活の質の向上を目指す外科的治療として行われる。しかしTKA患者の15%において術後痛が慢性化すると報告がされている(Hofmann2011)。本研究では術後早期の状態が術後痛の予後に与える影響を調査し、術後痛が慢性化に至る要因について明らかにすることを目的とした。【方法】対象の母集団は2011年6月から2012年8月までに当院にてTKAを施行された患者92名のうち、認知症、術後神経損傷を有している者、そして複数回のTKA施行者(反対側のTKA、再々置換術)や変性疾患以外の原因(骨壊死、リウマチなど)によるTKA患者を除外基準として取り込まれた者74名(平均年齢75.2±5.9歳男20名女54名)であった。評価項目は、術後3週時点での術後痛(visual analog scale以下VAS)、認知的要因としてneglect-like symptoms score(以下NLS-s)を、機能的要因として膝関節位置覚(以下関節位置覚)、大腿部の2点識別覚、膝伸展筋力、膝関節屈曲可動域を、精神的要因として、今回は特に不安要因および痛みへの破局的思考を取り上げ、State-Trait Anxiety Inventory(下位項目STAI1;状態不安,STAI2;特性不安に分類)、Pain Catastrophizing Scale(以下PCS:下位項目 反芻、無力感、拡大視に分類)を評価した。さらに術後痛の予後として術後4カ月時点でThe Western Ontario and McMaster Universities Arthritis Index(以下WOMAC)を評価し、その下位項目である「痛み」を用いた。この「痛み」に対し、術後3週での各要因が与える影響を分析するため、「痛み」を従属変数、その他の評価項目を独立変数とした重回帰分析を行った。なお分析には事前に「痛み」と各要因の単回帰分析を行い、有意水準0.20以上のものは除外した(内田2011)。また多重共線性を考慮し、独立変数間で相関係数が0.8以上の項目において、「痛み」と相関係数が高い項目を選択した。統計学的有意水準は5%未満とした。【倫理的配慮および説明と同意】本研究は当院の倫理委員会の承認を得て行った。また全対象者には本研究の趣旨を書面にて説明し署名にて同意を得た。【結果】単回帰分析や項目間の相関係数を検討した結果、独立変数はNLS-s、関節位置覚、反芻、無力感、拡大視が選択された。これをもとに痛みを従属変数とした重回帰分析を行った結果、決定係数r2=0.30となりNLS-s(β=0.25 p=0.04)、関節位置覚(β=0.28 p=0.01)、反芻(β=0.31 p=0.01)が優位な関連項目として抽出された。【考察】NLSとはGalarらが1995年にcomplex regional pain syndrome(CRPS)患者の有する運動機能障害(動き始めの遅延、自発性運動の低下、緩慢な動き)を指したものである。今回の結果から術後3週でのNLSの強さが術後4カ月の「痛み」の予測因子となることが分かった。NLSを有する患者には後頭頂葉の活動低下が認められ、このため感覚統合機能に問題があると報告されている(Vartiainen2009)。また感覚モダリティの統合により形成される身体イメージが不正確になることもNLSの原因になるとする報告(Bultitude2009)もある。これに対し今回関節位置覚も有意な関連項目として抽出されており、関節位置覚の低下により、他の感覚モダリティとの統合が正確に行われないと考えられる。一方、反芻とは痛みに対し注意が過度に向き、痛みに固執した状態(Sullivan1998)であり、痛みの予後に悲観的な不安感を現わしている。これらの結果をまとめると、術後の関節位置覚の低下とNLS、そして術後痛への固執と不安感が、術後痛が慢性化する一因と考えられる。これらのことから、TKAの術後リハとして関節位置覚を中心とした感覚機能の回復とその統合を促す必要があると考えられる。また術後痛への固執が強く、反芻の状態に陥った症例に対しては、術後痛への対処方法を教育するとともに、術後痛の長期予後を明示することにより、患者の抱える不安を軽減させる必要がある。これらは術後痛を慢性化させないために有効な手段であると考えられる。【理学療法学研究としての意義】今回の結果から術後痛の慢性化慢性化を予防するため、NLSへの対応として関節位置覚へのアプローチ、また患者教育や術後予後を明示することで術後痛への不安を軽減させる必要性があることが示唆された。