抄録
【はじめに、目的】 直立姿勢での質量中心(Center of mass:COM)を水平面に投射し,この点と足圧中心(Center of Pressure:COP)結んだ距離をCOP-COM距離という.COP-COM距離は動的バランスの指標になり,パーキンソン病患者において減少するといわれている.パーキンソン病患者では前方ステップ動作が,立位での動的バランスを改善するとされている.また,パーキンソン病患者のすくみや小刻み歩行には聴覚刺激や視覚刺激を用いることが有効であると言われている.後方ステップ動作においても,聴覚刺激や視覚刺激がパーキンソン病患者に対して同様の効果が予想されるが,その詳細がまだ明らかにされていない.そこで,まず若年健常成人において,聴覚及び視覚刺激が後方ステップ動作に与える影響を明らかにし,今後のパーキンソン病患者の治療訓練に役立てる一助とするために,本研究を行った.【方法】 対象は整形および神経疾患のない健常成人10名(年齢21±1歳,身長169±7cm, 体重61±7kg).計側には3次元動作解析装置,床反力計,フットスイッチを用いた.後方ステップ動作を静止立位時から右脚のHeel contactまでの動作と定義した.後方ステップ動作を6時点で区切った.P0はCOPが変位した時点,P1はCOPが遊脚前に最も右側に移動した時点,P2は遊脚側Heel off直前の時点,P3は遊脚側Toe off直前の時点,P4は遊脚側Toe contact直前の時点,P5は遊脚側Heel contact直前の時点とした.課題動作は外的刺激を与えない快適な後方ステップ動作(Non Cue:NC),聴覚刺激(Auditory Cue:AC)及び視覚刺激(Visual Cue:VC)を用いた後方ステップ動作の3条件とした.聴覚刺激は快適後方歩行のリズム(歩行率)に合わせた刺激(AC100),快適後方歩行のリズムの110%に合わせた刺激(AC110)の2条件とし,メトロノームの音にて提示した.視覚刺激は,快適後方歩行の歩幅に合わせた刺激(VC100),快適後方歩行の歩幅の110%に合わせた刺激(VC110)の2条件とし,床面にテープを貼り目標の歩幅を提示した.解析項目はCOP-COM距離(%,身長で正規化),COM後方速度最大値(mm/sec),遊脚側蹴りだし力(N/kg,体重で正規化)の3つとした.有意差検定には,分散分析後、Tukeyの多重比較検定を用いた.有意水準は5%とした.【倫理的配慮、説明と同意】 対象者に対して研究の趣旨,リスク,安全性を紙面及び口頭にて説明し,同意を得た上で行った.【結果】 聴覚刺激のAC100,AC110の条件では,P1及びP3時点でのCOP-COM距離が,NC条件下と比較して有意に増加した.視覚刺激のVC100, VC110の条件では,P4時点で,COP-COM距離がNCと比較して有意に増加した.両刺激のその他の時点においては,NCと比較し増加傾向にはあるものの,統計学的な有意差は見られなかった.また,各刺激のAC100とAC110間,VC100とVC110間でCOP-COM距離に統計学的な有意差は見られなかった.一方,COP-COM距離以外の解析パラメータは以下のとおりであった.視覚刺激のVC100,VC110の条件において,COM後方速度,遊脚側蹴りだし力が,NCと比較して有意に増加した.聴覚刺激のAC100,AC110では,これらのパラメータには統計学的な有意差は見られなかった.【考察】 聴覚刺激時には,P1,P3時点においてCOP-COM距離が有意に増加した.聴覚刺激は左右方向への体重移動,Toe offのタイミング調整に効果的であった.一方,視覚刺激時には,後方ステップの後半,すなわちToe contact直前でCOP-COM距離が有意に増加した.これは床面に貼り付けたテープが視覚的刺激となり,刺激に合わせようとした際にその効果が現れたものと考えられる.また,COM後方速度最大値と遊脚側蹴りだし力は,聴覚刺激で有意差は見られず,視覚刺激でのみ有意に増加した.視覚刺激では,ステップ足を視覚的指標に合わせるため,速度と蹴りだし力を増加させ調節していたためと考えられる.【理学療法学研究としての意義】 健常成人において聴覚刺激および視覚刺激が後方ステップ動作に及ぼす影響に違いがあった.聴覚刺激は後方ステップ初期の体重移動とToe offのタイミングに寄与し,視覚刺激は後半のToe contact直前のCOP-COM距離,COM後方最大速度,蹴り出し力の増加に寄与していた.パーキンソン病患者でこれらの点が明らかになれば,バランスや動作異常の検出や理学療法訓練手法の検討の一助になると考える.