理科教育のキーワードである自然という言葉は、時として対立する概念を含んでいる。科学的自然は、客観的把握の対象であるが、一方伝統的自然は、自己を投影するもの、情緒的把握の対象といえるであろう。自然科学と深くかかわる理科といえども、この情緒的かかわりの対象である自然を、避けて通ることはできない。この情緒的かかわりは、新設された生活科において強調されているため、理科との関係において何らかの考察が必要とされるであろう。生活科・理科における自然という言葉の使用主体である教師が、厳密にこの二つの概念を区別して用いるときにのみ、児童生徒はこの二つの概念を正しく育むことができる。科学的概念を育てようとすれば、それだけ伝統的概念を重視しておかなければならないのである。実践に理念を示すべき理科教育学において、伝統的自然の重要性がこのような形で取りあげられたことはない。理科教育・理科教育学にエピステモロジカルな視点を導入することにより、初めてこの二つの概念の正当な位置づけが可能となる。理科教育学におけるエピステモロジーは、普遍性を標榜する科学に対して、伝統文化的知の構造を正当に位置づける試みから始まる。この目的のためには、広く親しまれている日本語作品に現れる自然という言葉に、どの様な外国語訳が与えられているのかという考察が効果的である。翻訳された作品に再日本語訳を与えることによって、伝統的概念を再把握できるのである。エピステモロジーによって自然とnatureの差違認識を深めることは、そのまま自然観の深まりにつながるといえよう。エピステモロジーは、判断の基準を伝統文化に求めるという点において相互的である。もし我国の理科教育がエピステモロジカルな視点を手にいれれば、その成果はそのまま、欧米の理科教育のエピステモロジーの実践に貴重な資料となるはずである。