日本理科教育学会研究紀要
Online ISSN : 2433-0140
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31 巻, 2 号
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  • 宮野 純次
    1990 年31 巻2 号 p. 1-8
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    東ドイツの初等教育段階では、教科「国語」の中の科目「郷士科」において社会科的、理科的領域の学習が行われている。本稿では、「郷土科」の新旧学習指導要領を比較することにより、そこでの理科的領域の学習がどのように改訂されたかを検討した。本研究では、まず、学習指導要領改訂の経緯を「郷士科」を中心に概観した。次に、「郷士科」の改訂の理由と課題を明らかにした後で、具体的にどのような改訂が行われたかに言及した。「郷士科」の改訂にあたっては、学習領域が大きく社会科的領域と理科的領域の2領域に分けられ、各領域における知識の特殊性や系統性の確立が意図されたが、理科的領域においては、以下のことが明らかになった。(1) 第1学年において教材や授業時間数が増やされ、四季を通じて気象現象、植物、動物に関する学習が行われるようになり、幼稚園との関連も強化された。(2) 他学年においてもこれまでの成果が汲みあげられ、季節における気象現象との関連が強化されるなど取り扱いの重点が明確にされた。(3) 第4学年においては、観察や実験といった教科に特有な学習方法の習得など第5学年以降の教育への準備が確実にされようとしている。今回の改訂により、理科的領域において、児童が、気象現象や植物、動物に関する知識だけでなく、季節の変化と植物、動物の行動及び人間の活動との関連も認識し、自然を生物界と無生物界の統一として直観的に分かりやすく理解できるようになることが目指されていると言えよう。

  • 森本 信也, 角井 治朗
    1990 年31 巻2 号 p. 9-13
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    基本的科学概念とプロセススキルズの関連性を認知心理学の立場から検討した結果、以下のことが明らかになった。(1) 宣言的知識(Knowing that)と手続き的知識(Knowing how)は、前者が概念の諸要素を基礎にした情報群、後者がこれを運用するルール群として表裏一体となって一群の知識体系を構成し、それが実際の問題解決に際して機能している。(2) 概念は従来のように名辞的側面にのみ限定して捉えられるものではなく、イメージやエピソード、知的技能、運動技能といった諸要素の集合、及びそれらの色々なリンクのパターンとして捉えることができる。そのため基本的科学概念とプロセススキルズは、概念というラベルのもとで統合されることが明らかになった。(3) 宣言的知識と手続き的知識の関連性をこのように捉えることにより、問題解決における子ども達の固有のストラティジーの解明と、彼らの自然認識を評価する領域の拡大化が可能になった。

  • 野上 智行
    1990 年31 巻2 号 p. 15-25
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    アメリカの理科教育の師とされているアガッシ(Louis Agassiz)は、「本からではなく、自然そのものから教えよ。」という態度を貫いたことで知られている。アガッシの博物館での指導法は、「発見学習の手法による研究者の育成」であり、ペニキーズ島での指導は、「博物学の授業」であり、しかも、「指導法の授業」であると位置づけることができる。アガッシは、全ての人が博物学者になることができるとは考えていなかった。博物館での彼の指導に堪えられなかった者は、博物学者としての適性を欠くとみられていたのである。博物館での指導とペニキーズ島での指導には、共通の基盤があると見ることができる。それは、「人は自然に効果的に働きかけ、対象から働きかけられるような状態を体験し、結果として、ある概念形成が可能となる。」という人問のコンピテンス(competence)を強く意識していた点である。とりわけ、博物館での指導は、「徹底的な発見学習」として、ペニキーズ島での指導は「有意味受容学習」の特徴を備えた理科指導法の開発であったとして結論することができる。

  • 野村 昇, 原 稔
    1990 年31 巻2 号 p. 27-33
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    教師は児章のもつ興味・関心を知ることが必要である。しかも、それを知るのに、幾度も余り長い時間をかけて調査することはできない。教師が、児童の抱く日常、身近な事象についての興味・関心を「不思議に思うこと」の意識として調査をし、その中の特に初発の疑問の意義について検討することによって、短時間に児童のもつ興味・関心を把握出来るものと予想してその実証を試みた。富山市内の田園との境界地区に位置する3つの小学校の児童2,853名からの「不思議に思う」意識について40分間の筆記による調査をした。その初発の疑問を重視した各領域での出現率は全疑問の各領域での出現率との比較の結果、1年生の1部を除けば、ほぼ満足すべき相関を示した。従って著者等は短時間での「不思議に思う」ことの意識調査から、その時点での児童らのもつ興味•関心の大凡を把握できると判断した。また、今回の筆記による調査のデータを堀七蔵の方法によって、4つの領域(自然現象、生物、人間生活並びに物品)に分類し、その結果と堀その他の研究者の結果とを比較すると、堀その他の調査結果に比べて、児童の疑問意識の中で自然現象に関するものが大幅に後退していた。

  • 古田 博之, 松本 伸示, 広瀬 正美
    1990 年31 巻2 号 p. 35-41
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    本研究は、教育現場で行われている小学校理科における教育評価の実態を捉えようとするものである。そこで、全国の小学校理科の実践記録(研究報告書、出版物)の教育評価を、①:領域とそれに対する方法、②:学習指導過程における評価の構造的特徴という2つの視点で分析した。分析①では、予め設定したいくらかのカテゴリーにデータを分類した。分析②では、学習指導過程における評価の構造的特徴を明らかにするため、具体目標と学習活動、さらに、評価計画を教材構造化法(Hierarchical Networks of Instructional Units Using the Interpretive Structural Modeling Method by Sato T.)を用いて分析した。結果は、以下の通りである。①:形成的評価においては、A: 知識・理解と科学的思考をノート、発表、挙手で、B: 観察・実験の技能をノートや行動観察で、C:自然に対する関心・態度をノートや観察行動で評価している。総括的評価においては、どの領域もペーパーテストで評価している。関心態度では、感想文で評価することもある。②:学習指導過程の構造は、図形的特徴から4つのタイプに分類できる。導入から展開まで内容ごとに分かれて応用・まとめで1つになっているタイプが最も少ない。他の3つは、同様な頻度であった。このような構造において、形成的評価の場合、形成されるべき領域に対して評価が毎時問行われている。学習指導過程の中では、導入で自然に対する態度、展開で観察・実験の技能と科学的思考、応用・まとめで、知識・理解を領域とした評価が行われているものが多かった。

  • 鈴木 宏治, 仲丸 信行
    1990 年31 巻2 号 p. 43-49
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    わが国の高校生物教科書に記載された実験課題を分析し、そこに盛り込まれた要素的活動、その概略的構成・形態等を明らかにする。分析手段として米国アイオア大学の研究グループによって開発された「実験課題分析(LAI)」を用いた。その分析結果を理科教育の目標である探究能力の育成という観点から検討・吟味した。わが国の高校生物教科書に用意されている実験課題は探究を構成する重要な要素的活動に携わる機会を幅広く与えているとは言い難い。特に、科学的探究の本質である「問い」を定式化する活動が乏しい。「仮説の設定」・「観察・測定手順の計画」など比較的高度な認知的技能を獲得する機会もほとんど与えておらず、知的発達の促進・援助という観点からも充分な配慮がみられない。

  • 丹治 一義, 萱野 貴広, 萩原 尚武
    1990 年31 巻2 号 p. 51-59
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    受験体制下の中学生には、電流回路の学習はオームの法則を覚え、答を出すことと思っている者が少なくない。こうした中学生に、電流、電圧、抵抗相互の物理学的意味に気づかせるために「答を吟味する授業」を2時問試行し、約4ヶ月後に学力保持テストを行って学習効果を調べた。その結果「答を吟味する授業」は、①総合的な保持学力には影響しない、②電流、電圧、抵抗の関係をイメージ化してとらえる態度は定着させた、⑥グラフ化の操作ではかえって混乱を生じさせた、ことがわかった。以上の結果は、授業構成を工夫すれば、現在の中学生にも法則の意味を気づかせることが可能であることを示すと共に、理解目標と達成目標の調和のとれた指導法のあり方にいくつかの示唆を与えているように思われる。

  • 堀 哲夫
    1990 年31 巻2 号 p. 61-72
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    これまで、理科の教授・学習において児童・生徒がどのような思考をいかなる根拠に基づいて行なうものなのかについて、個別の内容に対してはかなりの成果が得られてきている。しかし、こうした諸成果を総合的・全体的に考察することはほとんど行われていない。本稿は、内外でこれまでに行われてきた成果を基礎として、児童•生徒の理科における思考の根拠や特徴はいかなるものであるのかを現段階において明らかにした。その結果、児童・生徒の思考の根拠や特徴として次の九点を明らかにした。それは、児童・生徒の思考が、(1)生活的概念により考える、(2)直観に依存する、(3)知覚の焦点を限定する、(4)変化状態に注意を集中する、(5)直線的な因果関係の推論をする、(6)状況に依存する、(7)自己中心的な考え方をする、(8)人間中心的な考え方をする、(9)アニミズムと情動主義的な考え方をする、というものである。また、これを基礎として理科の教授・学習への示唆を次の五点にまとめた。それは、(1) 児童・生徒の思考は早期に獲得・形成され、非科学的、前科学的であることが多い、(2) 児童・生徒は科学の概念や用語に特有の意味を付与して使用する、(3) 児童・生徒の概念や思考はきわめて多様な様相を示す、(4) 児童・生徒の思考はたとえ間違っていたとしても彼らなりの論理的一貫性をもっている、(5) 児童・生徒がいったん形成・獲得した考え方を変えることはきわめて難しい、というものである。

  • 川崎 謙
    1990 年31 巻2 号 p. 73-80
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    理科教育のキーワードである自然という言葉は、時として対立する概念を含んでいる。科学的自然は、客観的把握の対象であるが、一方伝統的自然は、自己を投影するもの、情緒的把握の対象といえるであろう。自然科学と深くかかわる理科といえども、この情緒的かかわりの対象である自然を、避けて通ることはできない。この情緒的かかわりは、新設された生活科において強調されているため、理科との関係において何らかの考察が必要とされるであろう。生活科・理科における自然という言葉の使用主体である教師が、厳密にこの二つの概念を区別して用いるときにのみ、児童生徒はこの二つの概念を正しく育むことができる。科学的概念を育てようとすれば、それだけ伝統的概念を重視しておかなければならないのである。実践に理念を示すべき理科教育学において、伝統的自然の重要性がこのような形で取りあげられたことはない。理科教育・理科教育学にエピステモロジカルな視点を導入することにより、初めてこの二つの概念の正当な位置づけが可能となる。理科教育学におけるエピステモロジーは、普遍性を標榜する科学に対して、伝統文化的知の構造を正当に位置づける試みから始まる。この目的のためには、広く親しまれている日本語作品に現れる自然という言葉に、どの様な外国語訳が与えられているのかという考察が効果的である。翻訳された作品に再日本語訳を与えることによって、伝統的概念を再把握できるのである。エピステモロジーによって自然とnatureの差違認識を深めることは、そのまま自然観の深まりにつながるといえよう。エピステモロジーは、判断の基準を伝統文化に求めるという点において相互的である。もし我国の理科教育がエピステモロジカルな視点を手にいれれば、その成果はそのまま、欧米の理科教育のエピステモロジーの実践に貴重な資料となるはずである。

  • 山路 裕昭, 平沢 進
    1990 年31 巻2 号 p. 81-89
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    今日の形の自由選択制教科の導入を決定した1966年改革以降、ソ連の学校教育における選択制は次第に拡充されてきた。特に1980年代における選択授業開始学年の繰り上げや課程の多様化、系統化への試み、あるいは選択授業と「特別学校(クラス)」との「接近」を見るとき、今日のソ連における選択制が生徒一人一人の個性をより一層積極的・目的的に発達させようとしている点にその特質を認めることができる。このような選択制の拡充は、基本的には、「すべての生徒による科学の基礎の系統的かつ確実な習得」のための必修課程重視を前提として行われており、中等科学教育において選択授業が占める割合は決して大きなものではない。そしてまた、そのような必修課程が教育課程の大きな部分を占めているからこそ、選択必修制ではなく、生徒の自由意志による(履修しても、しなくてもよい)自由選択制の選択授業が導入されていると言えるであろう。しかしながら、特に例えば「特別課程」の不振や「特別学校(クラス)」との関係は、選択授業を単に補習あるいは補足学習のための時間とするのではなく、さらにより積極的に、生徒一人一人の個性を伸長させるための高度の学習の機会とすることの困難さ、また完全な自由選択制の理念と現実とのギャップを示唆しているように思われる。そしてこれらのことは、選択制が十分な実際的成果を上げるためには、必修課程との関係のみでなく、多様な選択課程をどのような形式(自由選択あるいは選択必修)で履修させるかということも重要な課題であることを示しているように思われる。

  • 柴 一実
    1990 年31 巻2 号 p. 91-99
    発行日: 1990年
    公開日: 2023/06/20
    ジャーナル フリー

    従来の研究では、近代化に遅れたわが国が欧米の優れた理科実験の思想と実践を如何に受容し、発展させて来たのかという視点で論じられているが、これからは、日本のそれを世界史に位置づけ、世界の中での日本の位置を相対化する必要がある。このような問題意識から、本研究は、欧米諸国の中から、ドイツを事例として取り上げ、19世紀末から20世紀初頭の物理生徒実験の実態を把握することを研究の目的としたものである。その結果、以下の諸点が明らかになった。(1) 1898年ドイツでは、少なくとも19校が物理生徒実験を行っていたと推測される。その後、1904/05年には31校、1913年には223校に達している。プロイセンでは、1905/06年に30校だったのが、1909年には141校に急増している。こうした背景には、1905年の「メランの提案」や1906年から開始されたプロイセン政府による財政的援助があると考えられる。(2) ほとんどの中等学校において、生徒実験は、OIからOIIまでの3学年で、週1~2時間実施されていた。最初、物理生徒実験は選択制で実施されたが、その後、次第に必修制へと移行して行った。(3) 物理生徒実験の参加人数は、1898年には10~20人程度であったが、1905/06年には5~165人とその幅が広がっている。(4) 19世紀末から20世紀初頭にかけて、物理生徒実験を実施している学校数は、高等実科学校、実科ギムナジウム、ギムナジウムの順に多い。

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