2017 年 2017 巻 27 号 p. 299-308
東日本大震災・東京電力福島第一原発事故以後,日本語の文学研究・文学批評の場面でも,核や原爆を描いた過去の作品の読み直しがさまざまに進められている.しかし一方で,「ヒロシマ」「ナガサキ」という符牒と同様,カタカナで「フクシマ」と表記された記号のもとに,現時点でどのような言葉やイメージが呼び集められているか,という検討は決して十分ではない.日本政府は2020 年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて,震災と原発事故を乗り越えた「復興」という名 の「国民の物語」を作り上げようとしているが,まさにそれは,被災者や地域のとまどいを端折るような事態ではないか.本稿では,福島県浜通りにおいて,地域社会として震災以前・以後の記録と記憶をどのように保全し,それらをどのように表象・表現しようとしているか,まさにその現場での試みや企てに触れる中で,文学研究者として考えたことを述べたものである.