抄録
(1)はじめに
国の文化行政の影響もあり,このところ地域における「資源」への関心が高まっている(例えば,内堀編 2007)。そこでの「資源」とは,鉱産物などのいわゆる天然資源ではなく,「文化や知識,小生産物・小商品や貨幣,自然物と生態,空間から身体に至る広い範囲にわたる」(内堀 2007)ものであるとされる。このことは,有無の明確な物理的資源とは異なり,それらが,ある種の価値付けに組み込まれることによってはじめて,「資源」として認知されるという過程が少なからず存在することも意味している。実際に,こうした「資源化」のプロセスについても,近年,種々の検討が加えられるようになってきている(例えば,岩本編 2007)。
そのような「資源化」をもたらすものとして,近年では,世界遺産への登録が最も代表的なものといえるであろうが,戦後の日本において,より古くから一定の影響を有してきたものは,文化財への指定であろう。しかしながら地域における種々の事象を「資源化」させる文化財という制度的枠組み自体についての考察は,近代期を対象とした諸研究を除くと,民俗学の分野において,民俗文化財に関しての見るべき研究がいくつか存在する程度で(才津 1996: 1997,菊池 2001),地理学ではもちろんのこと,隣接分野においても,決して多くの成果があるわけではない。
例えば,ここで対象とするのは,文化財のなかの,重要無形文化財,とくに工芸技術に関するそれ(いわゆる「人間国宝」)であるが,この指定が各地の工芸産地や生産者に与えるインパクトは小さくないにもかかわらず,報告者も含め,これまでの地理学や隣接分野における工芸産地を対象とした研究において,この制度の意味や特性についても,やはり多くは検討されてこなかった。そこで,本発表では,こうした制度的枠組みによる地域文化の「資源化」とそれが工芸諸産地をはじめとする特定の地域に与える影響とを考える前段階として,国指定の重要無形文化財(「人間国宝」)における工芸技術分野の特色と状況とについて,簡単な考察を加えてみることにする。
(2)重要無形文化財(工芸技術)の誕生と概略
大正期の「史跡名勝天然記念物保存法」などを統合して,現在の文化財保護制度に直接つながる「文化財保護法」が制定されたのは,戦後の1950年である。4年後の1959年には,最初の大きな法改正があり,そこで「重要無形文化財」が新たに保護の対象となった。ここで無形文化財として対象とされたのは,「芸能や工芸技術など人々が身に付けている各種の価値の高い「わざ」」であり,「その「わざ」の体現者又は体得者を保持者として認定」することになった(文化庁 2001)。これを受け,1955年5月12日,第1回の保持者認定があり,「工芸技術」の分野では,陶芸5,染織9,漆芸2,金工1,人形2の計19件18人が認定された。
認定は,「わざ」を有する個人を個々に認定する「各個認定」と,多数の保持者を集団で認定する「保持団体等認定」とが存在し,前者がいわゆる「人間国宝」とされるものである。保持団体も含めた2008年現在での認定数は,69件68名であるが,「各個認定」は,特定の個人が有する「わざ」であるので,認定者の死去に伴い解除されるため,1955年より2004年までの認定の累計は,163件161名となっている。
(3)「人間国宝」の特色と芸術性・地域性・伝統性
ときに地域/産地と結びついたものとして語られることもあり,また生産者の「わざ」を顕彰する制度でもあることを考えると,「人間国宝」の認定は,地域において継承されてきた伝統的な「わざ」を有した者を対象としているように思われるかもしれないが,必ずしもそうではない。
これまでの認定者のうち,当人が当該業種の後継者ではない,すなわち「初代」である場合の数と割合を確認してみると,分野および年代によってばらつきがあるものの,全体のおよそ半数が,「初代」となっており,必ずしも代々受け継がれてきた技術が顕彰されているわけではないことが分かる。
このことは,例えば,「伝統工芸士」や「現代の名工」といった,工芸生産者もその対象に含む,他の認定制度が,「技術・技能」をベースとした要件であるのに対して,「人間国宝」では,その芸術性が強く重視されていることに関係していると思われる。この芸術性の重視こそが,「人間国宝」に特徴的な価値を与えているものであるといえようが,さらにそれには,認定要件の第3項にもあるように,「地方的」な特色が顕著であることも付加されている。
発表においては,「人間国宝」という認定制度が持つ,このような芸術性と地方性・地域性・伝統性との関連を吟味しつつ,制度の成り立ち,認定者の出自・属性についてのより詳細な検討と,いくつかの個別事例とから,「人間国宝」の「資源化」について考えていく。