要約:オオバナノエンレイソウは、北日本の夏緑樹林に生育する林床植物で、IUCNレッドリストにおいて絶滅危惧II類に指定されている。著者らは、岩手県と秋田県の南限個体群を対象として2013年から継続観察を実施してきたが、岩手県内の個体群周辺で近年ニホンジカが急増している。本稿では、主に2013−2022年の9年間にわたる個体群の変化に基づき、ニホンジカによる影響について検証した。岩手県内の2つの個体群では、2017年以降に被食率の上昇が見られ、赤外線内蔵カメラを用いた調査から、主な植食者はニホンジカだと考えられた。被食を受けなかった開花個体は多くが翌年も開花したのに対して、被食を受けた開花個体の半数以上は翌年に非開花の生育段階(三葉段階)へと後退した。その結果、どちらの個体群でも三葉段階の割合が2019年以降は顕著に上昇し、2022年には開花個体が3個体ずつにまで減少していた。一方、ニホンジカの増加が緩やかだと考えられる秋田県の個体群では、被食率や三葉段階の割合に目立った変化は見られなかった。岩手県では、かつて開花していた個体の多くが死亡しておらず、まだ三葉段階として残存していることから、現在はニホンジカによる影響が顕在化してきた初期段階にあると考えられる。また、エンレイソウ属はシカによる影響をいち早く受ける植物でもある。これらのことから、今後、短期間のうちに林床植生への影響が更に大きくなる可能性がある。