2021 年 69 巻 3 号 p. 1178-1183
近年,真言密教における「正統」と「異端」の境界は,各地の寺院から発見された資料により大きく揺らいでいる.例えば「赤白二渧」のような真言宗に流布する胎生学的教説は,すべて空海以来の即身成仏の教えを曲解した「邪見」,異端の説と評されてきたが,寺院資料を見ると,本来「正統」に分類されるはずの真言僧も,その事教二相の解釈内で頻繁に胎生的教説に言及し,それこそ,彼らにとってもっとも重要な秘説であったとも考えられる.
こういった調査の進展を受け,前述の邪義を信奉し,真言密教の異端と呼ばれてきた「立川流」のカテゴリーも再考が促される.最近の研究では,立川流という名の法流が,前近代の真言宗に複数存在し,そのすべてが,必ずしも胎生学的教説を信奉していたわけではないと指摘される.一方,その立川流に向けられた批判自体が,イデオロギー性を帯びているとも主張される.
つまり,実在の法流である立川流も真言僧が語る立川流も,共に複数の存在であり,これまで考えられてきたような,胎生学的教説,「邪義」「邪見」の評価,そして立川流という法流の間の垂直的繋がりはそもそも成立しえない.本稿でも,同様の視点から,真言宗における胎生学的教説の意義,および正統と異端の境界を分析する.具体的には,一六世紀の教雅が著した『根吼抄』を検討し,中世末から近世の真言宗に,異端=立川流と正統=宥快『宝鏡抄』を共に批判する,第三の立場がありえた可能性を考察する.