2014 年 7 巻 p. 40-56
本稿の目的は、〈慰安婦問題〉をめぐるフェミニズムの議論とナショナリズムの関係を再考することである。そのために、従来の議論において日本人「慰安婦」への関心のありようがどのようなものであったかを検討する。日本人「慰安婦」の被害者性に目を向け、〈慰安婦問題〉を「日本人=加害国民」対「韓国人=被害国民」というナショナルな関係性の論理に回収しがちであった言説編成をとらえなおす。
1970年代に「慰安婦」制度の実態解明が試みられて以来、日本人「慰安婦」は「お国のため」に「同意」して「慰安婦」を務めたと語られることがあった。また、1990年代に〈従軍慰安婦問題〉として社会問題化して以降も、「日本人被害者は沈黙している」と解釈される傾向にあった。しかし資料からは、「慰安婦」とされた経験について憤りながら語った人や、補償を求めた当事者の存在が確認できる。
これらをふまえ、本稿では、日本人「慰安婦」の被害を可視化させるとともに、従来彼女たちの被害が等閑視されてきた傾向に着目し、「国民」自身が国家暴力を矮小化してきた面を明らかにする。一定数の日本人女性が「慰安婦」にされた事実を深刻に受け止めない思考の背後に潜む性差別、娼婦差別、階層差別、それらとともにあるナショナリズムについて指摘し、同時にナショナリズムの文脈のみでは掬い取られない諸外国の被害者の痛みも想像するための議論を構想する。