本稿は,日本で急増するネパール人留学生の移動現象について,いかなる背景のあるネパール人が,いかに日本に留学するようになったのか,大分県別府市を事例にその実態を明らかにするものである.教育を契機にネパールから日本へ移動する流れを解明することは,留学生のモビリティによって創出された新たなアジア圏を部分的に解明することにもつながる.別府市の高等教育機関で学ぶネパール人留学生を対象に調査を行った結果,ネパール人留学生の多くは中等教育を終えるまでに既に出身州から何度か移動しており,さらに日本留学に備え日本語学校に通うために主にカトマンドゥのあるバグマティ州に移動していたことが明らかにされた.また,留学生の多くが農村出身者であり,日本をはじめとした海外で暮らす親類縁者から経済的支援を受けていたことも明らかにされた.別府で学ぶネパール人留学生の移動により,出身地の農村と日本とが繋がれ,新たなアジア圏の一部として組み込まれることになり,日本は農村部を含むネパールの多くの人々にとって手の届く留学先となった.日本への留学はネパールの若者にとって社会的上昇移動の機会となりうる.そのために,日本社会で言語をはじめ文化的摩擦を回避しながら社会に定位する必要があり,留学生を受け入れる教育機関にその能力習得の役割が期待される.こうした教育機関や経済的支援が可能な親類縁者もまた留学生のモビリティを向上させ,新たなアジア圏を形成する重要なアクターとなっていることが示された.