抄録
小型化・軽量化・低価格化・操作単純化されていくことによって,小型ビデオカメラ等の録音・録画機器が普及し,私たちのフィールドワークも様変わりしてきた。フィールドにおける記録は,以前よりも簡便に可能となったように見える。このことによって,フィールドにおける場面の微細な分析も可能になるなど,私たちのフィールドワークの精度も高まったかもしれない。しかし,一方で,〈出来事〉の説明の複雑化ももたらしたようにも見える。「羅生門問題」とは目撃者の人数分の状況説明の出現という事態を表象したものであるが,記録された音声と映像の入手は,一人の個人においても複数の状況説明が現れるという事態を創出したのではないだろうか。本稿は,ある幼稚園におけるフィールドワークで直面した幼児同士の「トラブル」の分析によって現れた,小型ビデオカメラが普及した現代におけるフィールドワークに関する一つの問題提起である。いわば,記録された音声と映像を手にすることによって,自らの中に「藪の中」を抱え込んでしまったフィールドワーカーを狂言回しとする,一つのフィールドワーク論である。