抄録
江戸時代中期,製蝋業の興隆にともなって,九州からもたらされたハゼノキが関東以西で大規模に栽培されるようになった.ハゼノキの大規模栽培が行われた和歌山県紀美野地区では,栽培ハゼノキから近縁野生種ヤマハゼへの遺伝的浸潤が起こったとみられる.本研究では,この地域で採取したハゼノキおよびヤマハゼのRAPD-PCR とクラスター分析を行い,新産業導入が近縁野生種の遺伝的多様性に与えた影響について検討した.その結果,この地域ではハゼノキとヤマハゼの交雑が進んでいて,典型的なヤマハゼは既に消滅していることが示唆された.また,製蝋業が衰退し,ハゼノキ園が管理されなくなると遺伝的浸潤の速度が増すこと,花粉や種子が小鳥によって運搬されるハゼノキやヤマハゼでは,針葉樹の経済林が遺伝的浸潤の障壁となる可能性も示唆された.