抄録
種々の温度条件下で登熟の状態を変えた場合, 登熟に伴つて稈及び穂内で行われる燐酸化合物の変化を明らかにすると共に, 低温及び高温による登熟障害の機構を考察する為の一つの資料にしようとした. 戸外で枠栽培した水稲農林29号を, 開花授精後に, 17゜, 21℃及び25℃の硝子室に搬入し, 5日毎に午前10時に, 同一日に出穂した分〓40~70ヶ体を採取した. 試料としては穂及び稈の上から第1, 第3, 第5節間 (各々下の節を含む) をとり, 一部を乾燥, 粉末にして全燐を, 一部は-10℃の冷凍室に貯蔵して逐次酸可溶性燐を分劃定量した. 稈では燐酸の大部分は無機態として存在しており, 登熱に伴つて穂に移行し, 下部の節間から減少していく. そして穂に移行した燐は大分部phytin-Pとして集積される. この場合, 燐酸の移行及び他の化合物への変化は, この実験の25℃迄の範囲では, 高温程はやく, 低温では極めて緩慢であつた. 試料の長期間に亘る貯蔵中にphytin-Pの一部が無機化した形跡があり, -10℃の低温下でも穂の長期の貯蔵中にphytaseが働き得るという可能性が認められた. 稈中のphytin-Pはごく初期以外は殆ど認められなかつたが, 測定方法, 貯蔵中の無機化及び試料の採取時期等の問題があるので, 稈中のphytinの存在或は変動については更に検討を要する. 稈の酸不溶の有機態燐に於ても若干の減少が見られたので, この形態の燐の一部もそのままの形か, 又は無機態になるかして穂に移行するものと思われる. 種実に移行する燐酸は大部分は葉及び稈に既に存在していたものが移行すると考えられるが, 之は炭水化物の転流の状態と似ており, 本実験と同じ試料を用いて同時に行つた他の実験での炭水化物の転流の曲線と本実験の燐の移行の曲線とが類似しているので, 之等両者の動き方の間には何らかの関係があると思われる. 筆者等は上の炭水化物の実験から, 登熟障害の原因は, 低温では転流の緩慢な事, 高温では呼吸による過度の炭水化物の消費の外に穂が急速に老化する為に転流期間が短縮する事に関係して生ずるものであろうと考察したが, 本実験の燐酸の行動も之を裏付けているものと思われる.