2021 年 17 巻 p. 14-26
中世ヨーロッパにおける食というのは、古代ギリシア・ローマ医学の四体液説に基づいた療法的な側面が強調される一方で、フランス・ブルゴーニュ宮廷のように、宴会において技巧を凝らした、色とりどりの「アントルメ」がみられるなど、相反したイメージが混在する。このような時代に特徴的な料理というのが、療法食でもあった「ブラン・マンジェblanc manger」である。この料理は「白い」という名前を持ちながらも、赤や黄色へと変化をみせる。
本稿では、ブラン・マンジェが視覚的に変化していく過程を追いながら、中世における食の発展について考える。ブラン・マンジェは医学書から料理書へ、まずは療法食として伝えられた後、見た目という新しい価値観の下で変化する。食における目的の違いに着目しつつ、この変化の背景にある宮廷の宴会での食の役割についても検討する。