明治初期に洋紙の流入が起こり, 和紙生産の形勢が不利になることが感じられた中, 大蔵省印刷局抄紙部および高知県土佐和紙産地を中心として新しい技術を導入しての新紙種が開発された。重要な役割を果たしたのがミツマタ混合製薄様紙を主とする改良・特種紙であり, 大蔵省印刷局史および吉井源太日記により, これらの紙種の開発における原料煮熟, 漂白, 滲み止め等の技術開発の実態および特質が把握できた。高知県からこの技術を学んだ産地のうち, 従来ガンピ・ミツマタを原料として紙を抄造していた産地においてこの新技術の普及・定着が起こったことを内国勧業博覧会出品記録より明らかにした。これらの紙種の抄造は和紙生産額および輸出額の増大をもたらした。このことは各産地内および産地間における生産紙種を二分化させるとともに, 産地における和紙製造業の盛衰も生じさせた。これらの紙種は従来型和紙や洋紙とは異なる需要を開拓したものとなったことが存在意義であった。