2025 年 81 巻 1 号 論文ID: 24-00085
本研究では,行政資料では把握しきれない京都植物園の設立過程と計画・設計案の展開を,新聞資料をもとに関係主体の意図や役割に着目して明らかにした.大森鍾一知事(任期1902-1916)の計画思想を中心に,大典記念京都博覧会から大遊園地計画,さらには萬祥園(京都植物園)への転換過程を詳細に検討し,その政策的意図と計画内容を分析した.大森は,京都市の北方への遊覧的発展を視野に入れ,博覧会から植物園計画に至るまで,既存の風致を活かしつつ,文化的・教育的価値を高める計画を推進した.また,大森は予算制約にも対応し,地主や専門家,民間の協力を得て,京都北部における都市発展の基礎を築いた.これにより,半木神社周辺に林泉を造成し,堤防道路と合わせて桜の一大名所を創出する大幅な設計変更が行われたことを明らかにした.