2024 年 8 巻 s2 号 p. s146-s149
第二次世界大戦中,B-29スーパーフォートレスを改造して作った写真偵察機F-13が初めて長崎の上空に現れたのは1945年3月9日のことである。長崎に原爆が落とされた日からちょうど5ヶ月前のことで,極秘・写真偵察機による長崎ミッションの始まりを告げるものだった。その約1ヶ月半後の4月28日,科学者と軍の代表が率いる原子爆弾・マンハッタン計画の第1回目の目標選定委員会が開かれた[1]。その委員会の机上に,長崎と佐世保を含む17都市の目標都市がリストアップされた。その約6ヶ月後の9月7日,写真偵察機F-13が再び長崎の上空に姿を見せた。長崎上空での偵察ミッションを終える日であった。米軍の写真偵察機F-13による長崎上空での偵察ミッションは凡そ6ヶ月間に及び,合計27回のミッション記録がある[5]。その内,アメリカのメリーランド州のカレッジパークにある国立公文書館には18回のミッションデータが保管されている。全部で1690枚余りの長崎上空での写真記録データは全てネガフィルムを保管するために作られた特殊フィルム缶(ICE CUBE,アイスキューブと呼ぶ)に収められている[2]。本論ではこれら6ヶ月間の記録をリスト化して画像情報を整理・報告するとともに,Web-GISシステム上にデータを公開するためのシステム設計内容を述べる。本報告の内容には写真偵察機F-13に装備された6台の特殊カメラの配置場所及びカメラの機能性,また,そのカメラが捉えた正斜写真及び傾斜写真などに付されたヘッダー情報の内容が説明されている。