抄録
岐阜県は「重症心身障がい在宅支援センター」を設置し、その運営を岐阜県看護協会が受託し、在宅で暮らす重症心身障がい児者とその家族に対する支援の拠点として、平成27年4月重症心身障がい在宅支援センター「みらい」(以下、「みらい」)を開設した。私は現在この「みらい」で家族支援専門看護師として活動している。「みらい」では在宅で暮らす重症心身障がい児者の家族等からの様々な相談に応じるとともに、家族間のネットワークづくりを目的に事業展開している。今回この「みらい」の活動を中心に重症児の家族支援の実際について報告する。
Ⅰ.直接的な家族支援の実際
1.事例Ⅰ
A病院NICUより紹介の重症児。看取りの目的で在宅へ移行した。しかし子どもは在宅移行後順調に回復し成長を遂げ、家族が奔走していた事例である。
1)支援内容:訪問看護師との同行訪問をきっかけにし、繰り返し家庭訪問を実施し家族の思いや気持ちを聞きつつ、家族との関係性の構築に努めた。また受診に同行し、主治医との情報交換実施後地域の支援者への情報を提供した。在宅医、訪問看護、紹介元の病院NICUと連携し、協力体制をつくり定期的な家族を含む応援会議の実施にむけての調整を実施した。さらに子どもの成長発達を家族、特に両親が確認できるように説明し、そのうえで必要とされる手続き(障害者手帳など)を説明し、受けられるサービスの情報の提供をした。
2)結果
家族の変化:繰り返しの訪問で少しずつ母の表情がなごみ、子どもが生まれたときの状況、子どもと自分の死の恐怖について涙ながらに語り始め、次回の訪問日時は母から要求されるようになった。
父親も同様に出生時と障がいを宣告されたときのことを語ることができ、母と同様に子どもの今後についての質問が増えた。また在宅移行直後に抱いていたなにも治療をしないで、看取りを在宅でという認識ではなく、「大切にこの子のペースで育てていこう」という発言がきかれ、また家族間でも役割調整ができ、子どもの成長を喜び療育に対しての積極性がみられるようになった。
2.事例Ⅱ
B病院NICUよりの紹介。里帰り分娩で出生した。出生後13トリソミーと診断され在宅を決心した。しかしその後気管支狭窄症と診断されたが、家族は治療を望まず在宅へ移行した事例である。
1)支援内容:退院サポート室の看護師と連携してNICUに入院中から早期介入し、母との関係性の構築に努めた。その上で母の気持ちを傾聴し在宅移行への意思決定・覚悟についての確認をした。
在宅移行後は、在宅での支援者の調整や訪問看護師との同行訪問、転居まで定期的な訪問を実施した。また在宅移行後急変したことを機に看取りについて家族とともに話しあった。
2)結果
家族の変化:入院中より介入したことにより、母親との面談により病院職員には言えなかったこと(胎児診断を受けたとき、出生後障がいが残ると宣告されたときの思いを語ったことから、関係性の構築と援助関係の成立が早期からできた。そのため居住地で家族と暮らしたいとの確固たる思い、今以上の治療はしないという思いも確認できた。また地域での支援者と家族との橋渡し、チームづくりも在宅移行前からできた。さらには子どもの病状から祖父母を含む母親と訪問看護師、在宅医ともに看取りについてそれぞれの気持ちを話しあうことができ、家族の子どもへの思いを確認でき支援体制が充実することで家族の不安は軽減され無事に転居できた。
Ⅱ.家族間のネットワークづくり
重症児、医療依存度の高い、特に未就学児をもつ家族や高校卒業後は、家庭で引きこもりになり、社会との交流が減少しがちになる。また世代間の違いでの障がいをもつ家族同志の交流も少ない。そのため5圏域ある岐阜県でそれぞれ年一回ずつ「みらい」主催で家族交流会を実施している。家族主体の交流会をめざし、各圏域には家族の方に主軸メンバーをお願いし、交流会の内容等を企画してもらいそれを全面的にサポートしている。年々参加人数は増加し、圏域を超えての参加もあり、県内全体のネットワークづくりに発展している。参加家族からはいろいろな人とつながりをもてることで自分たちだけでないことを実感し、在宅生活の励みになった、家族交流会を通して出かける機会のきっかけができたなどの感想が得られアンケート調査からもほぼ満足という結果が得られている。
以上「みらい」の活動によってみえてきたことは、①重症心身障がい児者と家族には成長・発達を踏まえた継続的な支援と家族をエンパワーメントすることが重要である。②家族交流会は家族間のネットワークづくりや家族のエンパワーメントを引き出せることができる。③医療依存度の高い重症児が増える中で在宅支援を考えたとき看護職が支援のリーダーシップを担うことが望ましい。④「みらい」は家族や相談支援員、訪問看護師など支援者にとって継続的に運用が求められる重要な機関である。