2016 年 67 巻 4 号 p. 415-431
本稿では, 「沖縄問題」がどのような力学のもと構成され, 変化するのか, そして, 人びとによって経験されてきたのかという問いをたてる. 具体的には, 沖縄の日本復帰直前の1970年代前半から復帰後の70年代後半の時期に焦点をあて, 宇井純 (1932-2006) が中心となり取り組まれた自主講座運動が, 日本本土と沖縄, そしてアジアの反公害住民運動をつなげ, 「沖縄問題」を提起した意味を検討する.
復帰後の沖縄社会は, 「沖縄問題」をめぐる関心の減少, 沖縄振興開発計画に伴う開発の促進と観光地化, そして基地問題の非争点化という特徴をもつ. だが, 復帰後, 「沖縄問題」への関心を持続させ, 国家と資本, さらには両者の開発主義を受容する革新県政を批判したのが反公害住民運動であった. その特徴は, (1)沖縄への日本資本の進出を公害問題の実態に基づき批判したこと, (2)「沖縄問題」を日本本土との加害/被害や支配/被支配といった枠組みだけではなく, 遍在する公害問題をつなぐ形で再構成した点にある. 本稿は, 金武湾闘争を通じて反公害住民運動が, 国家と資本, そして革新県政による沖縄の問題化に対し, 別の政治の回路を開いたことを明らかにする.