2025 年 76 巻 1 号 p. 46-62
本稿は,ミシェル・フーコーおよびジル・ドゥルーズが指摘した権力形態の変化を,ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』の観点から論じるものである.フーコーが『監獄の誕生』で展開した規律・訓練による社会統制という権力論に対し,ドゥルーズは『記号と事件』で,それが20世紀初頭までのものであり,その後,衰退したとしている.その際,ドゥルーズは,規律・訓練と,管理の違いを示すのは金銭だとしていたが,ドゥルーズ自身,これを詳しくは説明していない.
ジンメルは,個人の人格は生産活動に活用される要素とそれ以外とに分解され,人格のうち特定の要素のみで生産活動に関われるようになるため,個人はより自由になるとしていた.しかし本稿は,貨幣による人格の分解が諸個人を自由にする以上に,実際は,人格の個々の要素を活用する管理社会への移行をもたらしているという見方ができることを論じる.
さらに本稿では,これが,ショシャナ・ズボフが『監視資本主義』で論じたシステム,すなわち,人びとの人格的要素を情報化し,企業がその消費行動の操作を通じて利益追求に活用するシステムに関連することを指摘する.今日の管理社会システムにおいては,ジンメルも想定していなかった貨幣の情報化,および消費における分化した個人の主観的欲望の管理という側面から,ジンメルが貨幣によってもたらされるとした人格的自由は,情報システムを通じて管理されるようになりつつあることを明らかにする.