抄録
摘星山荘は、清時代の武将・林其中によって1871年から1879年の間に築かれた古民家で、台中市潭子区に現存している。
「憨番」は、一般的に、台湾の伝統的寺廟に多用される装飾題材である。それは、外来統治者に対する台湾人の不満・怒りの気持ちを表すものと伝えられてきた。しかし、寺廟ではない摘星山荘にも「憨番」に似た外国軍人像の装飾題材が見られ、それは「憨番」題材の一つである「憨番擔樑」と解釈されている。はたして、このような解釈は正しいのだろうか。
本研究は、詳細な考察を行った結果、これらの軍人像は清時代後期の「太平天国の乱」の常勝軍・常捷軍に由来する可能性が極めて大きく、内包されている意味も「吉祥如意」「勝利」であると判断できる。この考察結果は、「憨番」と考えられてきた既存の認識を覆すものである。また、建造者・林其中の人間関係のみならず、太平天国の乱と無関係であったかに見える当時の台湾の国際関係をも顕現してくれる。