マーケティングジャーナル
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マーケティングケース
地方自治体におけるマーケティング志向の浸透
― 流山市 ―
石井 裕明外川 拓井上 一郎
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2018 年 38 巻 2 号 p. 107-118

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Abstract

マーケティングが様々な対象に応用できることは古くから指摘されてきた。その中でも,公共団体への応用は,ソーシャル・マーケティングなどとして,しばしば取り上げられるテーマの一つである。その一方,我が国に目を向けてみると,本格的にマーケティングに取り組んでいると考えられる市町村単位の地方自治体はそれほど多くない。そこで本稿では,マーケティング課を設置し,様々なマーケティング活動を展開している流山市に注目した。インタビュー調査の結果からは,同市の人口増加の背景にマーケティング的発想に基づく様々な取り組みが存在することが確認された。また,自治体組織特有のマーケティングを応用する難しさ,トップマネジメントである市長によるマーケティングの強調による効果,自治体組織にマーケティングを根付かせるための方策が示唆されている。

図1

流山おおたかの森駅周辺の様子

出所:流山市提供。

I. 「都心から一番近い森のまち」

東京の秋葉原から20分ほど電車に揺られると,開発が進む市街地と緑豊かな自然とが混在した風景に出合うことができる。秋葉原を起点とするつくばエクスプレス沿線に「南流山」「流山セントラルパーク」「流山おおたかの森」という3つの駅を有する流山市の風景である。流山市は,「都心から一番近い森のまち」として,市内外にPRを続けている。

流山市内を回ってみると,自然と利便性が共存していることを実感できる。例えば,つくばエクスプレスの主要駅の一つである「流山おおたかの森」駅前には,大規模ショッピングモールである「おおたかの森S・C」が展開されており,それを取り巻くようにマンションが立ち並ぶ。しかしながら,少し足を延ばしてみると,自然豊かな公園や水辺を見つけることができる。

流山市は,つくばエクスプレスが開業した2005年以降,一貫して人口を増やしている。2010年と2015年に行われた国勢調査を見比べてみると,流山市の人口は6.3%増加した1)。この増加率は,全国の市の中で7番目,15万人以上の人口を抱える市の中では最も高い数値である。また,2016年と2017年の住民基本台帳人口移動報告によると,全国で8番目に転入者の多い市区町村でもある2)。上位の7つの自治体はすべて政令指定都市であるため,それ以外の市区町村では,流山市が最も転入者の多い自治体となっている。

こうした人口増加において,つくばエクスプレス開業が大きな影響を与えているのは明白である。しかしながら,その成功要因として,流山市が展開している優れたマーケティング活動が存在することを見落とすべきではない。流山市には,「マーケティング課」という市町村単位の自治体では珍しい部署が存在しているのだ。マーケティングに注力しようという同市の明確な姿勢を見て取ることが出来る。本レポートでは,流山市を取り上げ,自治体におけるマーケティング展開について検討していく。

II. 流山市の概要

千葉県の北西部に位置する流山市は,人口189,132人(2018年9月),面積35.32平方キロの都市である3)。流山一帯は,かつて利根運河や江戸川を利用した水運で栄え,江戸時代の中期ごろには,今でも特産品である白みりんを関東一円に出荷していたという。新選組局長の近藤勇が最後の陣を敷いた場所としても知られている。

現在の流山市が形作られたのは,1951年に行われた旧流山町,旧新川村,旧八木村の3町村の合併である。合併当初は「江戸川町」を名乗っていたものの,東京の江戸川区と間違われやすいとの理由で,9か月で「流山町」に改められたという。その後,戦後の経済成長とともに,流山の人口も右肩上がりで増加していく。常磐線南柏駅や東武野田線江戸川台駅の開業に合わせて誕生した「松ヶ丘団地」や「江戸川台団地」など,戸建ての大規模な団地整備も進められ,合併時に18,000人だった人口は1967年には4万人を超えた。同年,流山は「町」から「市」となったが,その後も人口は増え続け,1979年には人口10万人に達した。

しかしながら,2000年ごろに差し掛かると,人口は15万人程度で頭打ちの状態が続くようになる。それに加え,市民の高年齢化が問題視されるようになっていた。流山市の財源を詳しく見ていくと,住民税における個人住民税の割合が9割に上り,近隣の都市と比べ,法人住民税の割合が低い。こうした点は,短期的な景気の動きに税収が左右されにくいという強みはあるものの,高齢化という長期的なトレンドの影響を受けやすいという弱みもある。2000年の流山市の年齢別構成においては,50代の比率が最も高く,17.5%を占めていた4)。したがって,年齢構成比率の高い50代のリタイアが進めば,税収は落ち込んでしまう。さらに市民の高年齢化は,福祉関連支出となって財政に重くのしかかってくる。

新たな住民誘致という面においては,市のイメージが地味に見えることも課題であった。流山市は松戸市と柏市という首都圏でも有数の都市に隣接している。2018年に市政75年を迎えた松戸市は,市の中心である松戸駅から上野まで20分という都心へのアクセスの良さを強みとして発展してきた。現在の人口は,489,037人(2018年4月)である5)。JRや新京成線の駅周辺には大型商業施設も出店しており,近隣地域からの買い物客も多い。柏市は人口422,385人(2018年4月)の都市である6)。松戸市や流山市に比べ,都心からは距離的に離れるものの,柏駅周辺の大型商業施設やファッション関連の店舗が立ち並ぶ裏通りは,週末になると多くの人でにぎわう。

流山市の井崎義治市長は「流山市はベッドタウンのイメージが強く,人・モノ・カネが出ていくばかりで,入ってくる仕掛けがなかった」と振り返る。また,流山市総合政策部マーケティング課課長補佐兼マーケティング係長の大島尚文氏は,「流山市民は休みの日に近隣の松戸市や柏市に買い物に出かけていく。その一方,松戸市民や柏市民が流山市に出かけることはほとんどなかった」と指摘する。例えば,「流山市の子どもたちは,中学に入学すると『柏デビュー』をして,遊びに行っていた」のだという。主要駅やそれに伴う大型商業施設を擁する近隣の都市に対し,流山市は存在感を発揮できていなかったのである。

以上のような状況を踏まえると,人口は一定の水準で推移していたものの,流山市の将来には厳しい状況が予想されていた。それだけに,2005年のつくばエクスプレス開業に寄せられる期待は大きかったのである。しかしながら,つくばエクスプレス開業による沿線の利便性の向上は,市町村間の競争の激化にもつながると考えられていた。人々に流山市の魅力を感じてもらうことができなければ,沿線の他の駅に人々が流出してしまい,街が空洞化してしまう可能性もある。つくばエクスプレスの開業という機会をいかに生かしていくかが,流山市の将来にとって極めて重要な課題となっていたのだ。

図2

流山市の人口の推移

出所)Nagareyama City(2018c)より筆者作成

III. 流山市のマーケティング展開

1. 市長の着任とマーケティングへの注力

流山市にとって大きな転機となったのは,2003年の井崎市長の就任である。井崎市長はアメリカで都市計画コンサルティング会社に勤めていたという経歴を持つ。アメリカは日本に比べ,自治体によるマーケティングが盛んな国であり,井崎市長は「自治体がPR活動をしないことがむしろ奇異に感じた」と語っている7)

井崎市長は,人口の伸び悩みと高齢化率の上昇に対処するためには,マーケティングが必要であると判断し,流山市のマーケティングを展開する準備に取り掛かる。目標は子育て世代の誘致である。着任した直後の2003年10月1日,企画経営課内にマーケティング室を設置した井崎市長は,翌年の4月1日にはマーケティング課として独立した部署に引き上げた。それと時期を合わせ,民間企業の経験者を課長に採用し,従来の市役所業務に囚われずにマーケティングが展開できる素地を作り上げていく。2005年のつくばエクスプレス開業を前に,流山市の魅力を強力に発信していきたいという市長の強い思いが見て取れる。

しかしながら,同市がマーケティングを展開するための道のりは,決して容易なものではなかったという。井崎市長は,市役所職員が「企業誘致とマーケティングの違いを理解していなかった」と当時を振り返る。市役所には馴染みのないマーケティングという考え方を職員達に理解してもらうために,市長自らが講師となりマーケティングに関する勉強会を開催したこともあった。それでも一部の職員から「行政がマーケティングをする必要があるのか」といった反発の声が上がったという。

その様な状況下ではあったが,流山市のマーケティング戦略の骨子が組み立てられていく。流山市にとっての強みの一つは,都心への近さである。つくばエクスプレスが開通すれば,都心まで約20分でアクセスできる。こうした点は都内に勤め先を持つ若い世代にも大きな魅力となるはずである。

2003年当時,夫婦やカップルのライフスタイルを示す「DINKs」というキーワードが注目を集めていた。DINKsとは,「Double Income No Kids」の頭文字を並べたもので,共働き夫婦が意図的に子供を持たないライフスタイルのことである。DINKsは一般的に所得が高く,彼らを誘致できれば租税収入の向上も期待できる。しかしながら,流山市が抱えている問題点の一つである市民の高年齢化を考えると,DINKsの誘致には課題があった。DINKsカップルが年を重ね,退職していくことになると,税収が減るだけでなく福祉のための費用も必要になるため,法人住民税による税収が少ない流山市においては収支のバランスが崩れてしまう恐れがあったのである。

そこで流山市は「DEWKs」と呼ばれる子育て世代をターゲットに据えた。DEWKsとは,「Double Employed With Kids」のことで,夫婦ともに仕事を持ちながら子育ても行うライフスタイルのことである。流山市には,ゆったりした戸建て住宅が多く,緑化資源も豊富に存在している。こうした点が,子育て世代に強く訴えられると考えたのである。実は,DINKsをターゲットとした場合よりも,DEWKsをターゲットにした場合の方が,子育て支援などの施策に力を注がなくてはならず,短期的にはコストがかかるという。しかしながら,大島氏は,「長期的な視点からDEWKsをターゲットにしている」と語る。親世代が退職したとしても,子供世代を流山に定着させることができれば,長期的な財政の健全化に寄与できると考えられるのである。

都心へのアクセスの良さと,緑豊かで良質な住環境を子育て世代に訴求する。これが流山市におけるマーケティング戦略の最も基本的な構造となっている。そのために設定された市のイメージが,冒頭でも紹介した「都心から一番近い森のまち」というフレーズなのである。

2. ブランドイメージの確立に向けた取り組み

首都圏近郊で住まいを探している子育て世代に,流山市を選択肢の一つにしてもらう。それこそが流山市がまず初めに達成しなくてはならないマーケティング目標であった。井崎市長の就任当時,首都圏近郊における流山市の知名度は極めて低く,住宅購入を考えている子育て世代が選択肢として流山市を思い浮かべるのは難しい状況であった。しかしながら,知名度の低さが功を奏した部分もある。ターゲットである子育て世代において,流山に対するイメージが白紙だったのである。つまり,今後のマーケティング展開次第では,好ましいブランドイメージを構築していくことが可能であった。流山市の知名度向上と好ましいブランドイメージの確立を目指し,流山市のマーケティング活動は展開されていく。

2005年の春には,その後の流山市のブランド戦略に大きく影響を与える決定も行われた。つくばエクスプレスの開業を前に,流山市に開業が予定されていた3つの駅のうち,2つの駅の名称を変更したのである。「流山中央」と「流山運動公園」となる予定であった駅名を,それぞれ現在の名称である「流山おおたかの森」と「流山セントラルパーク」に変更した。ブランドイメージが定着していない流山市にとって,都市の顔ともなる駅に独自性のある名称を採用できたのは,その後のマーケティング戦略やブランド戦略において極めて重要であった。井崎市長は,この駅名の変更について,流山市のブランド戦略の出発点であったとも指摘している8)。マンション開発業者をはじめとする関係者に対しても,独自性のある駅名の採用が大きな影響を与えたことは想像に難くない。また,「森のまち」をアピールしていく上では,「おおたかの森」という駅名の採用が大きな弾みとなったはずである。

もちろん流山市のブランド戦略を支えるのはイメージだけでない。たとえば,良質な住環境を作り,守っていくために,江戸川台や松ヶ丘など,流山市の代表的な住宅地の宅地分割を地区計画で制限している。一般的に,宅地の分割制限をすると,一区画あたりの価格が高止まりしてしまうため,土地の売れ行き自体は芳しくなくなり,地価の下落につながるリスクもある。しかしながら井崎市長は,「宅地分割して小さな開発をしやすくすると,住環境としてのクオリティが低下するため,うまくいくのは数年間だろう」と指摘する。逆に「宅地分割をせずに良質な住環境を維持すると,そういう環境を求める人が買いに来る。短期的に土地の価格は下がってしまったとしても,長期的に見れば,価値を維持できるはずだ」と話してくれた。実際,市内にある小学校16校の多くは在籍生徒数が増加傾向にあるという。長期的な視点から良質な住環境を守ってきたからこその成果であろう。

さらに,流山市は子育て世帯に向けた積極的な施策も展開している。子育て世帯を強力にバックアップする「駅前送迎保育ステーション」というサービスは,待機児童対策として2007年に作り上げられた。このサービスは,市内の主要駅である流山おおたかの森駅と南流山駅にある駅前送迎保育ステーションと市内の各保育所(園)をバスでつなぐ。流山市の面積は約35 km2であり,松戸市(約61 km2)や柏市(約114 km2)といった近隣の都市に比べて面積が狭く,交通渋滞の少ない特徴を生かしたサービスである。一時預かり施設を併設しているため,親は出勤前に駅前の施設に子供を預け,帰りに迎えに行けばよい。一回100円の利用料はかかるものの,都心に出勤する親達にとって,駅前で子供の送迎が完結できるのは極めて利便性が高い。待機児童の問題もあり,近年では,兄弟姉妹が別々の保育園に通うケースも珍しくない。送迎保育ステーションのサービスを利用すれば,別々の保育園に通う兄弟姉妹の送迎も一か所で済むため,共働きをする親たちにとっては大きな味方となっている。その他にも,認可保育園の新増設や市内全中学校への外国語指導助手の配置など,子育て世代を意識した取り組みに力が注がれている。

3. ターゲットにおける知名度向上を目指したプロモーション戦略

ターゲットに向け良質な住環境を訴求できる素地を整えながら,流山市は知名度向上を目指した取り組みを進めていく。2010年には,「母になるなら,流山市。」というキャッチコピーの交通広告が都心のターミナル駅などで展開された(図3)。こうしたプロモーション展開は,地方の住宅都市の取り組みとしては極めて珍しい。広告の内容においては,若い夫婦と子供の写真が掲載されているが,細かい説明などはほとんど掲載されていない。大島氏は,「細かい説明調の宣伝文句は,逆に広告としての訴求力を弱める。首都圏で住宅購入を検討している層に少しでも流山を知ってもらい,選択肢の一つになることが重要」という。さらに,「詳細な情報は,HPなどを見てもらえばわかってもらえる。それよりも流山市のイメージを定着させたい」と続ける。広告に登場する親子は,全て流山市に居住している家族である。第一回目の広告には,横浜市青葉区など,流山以前の居住地を限定したモデル家族を探し出し,良質な住み替えのイメージを訴求した。実際に流山で生活している家族をモデルとして採用することで,言葉では伝えきれない「物語」を感じてもらいたいのだという。

図3

丸の内線大手町駅に掲出された「母になるなら流山市」のポスター

出所:流山市提供

また,市外から人々を流山に呼び込むイベントの開催も積極的に進められている。例えば,2011年から流山おおたかの森駅前や南流山駅前で開催されている「森のマルシェ」というイベントは,5月に行われる「グリーンフェスティバル」,8月に行われる「森のナイト・カフェ」,11月に行われる「ハーヴェスティバル」,12月に行われる「森のマルシェ・ド・ノエル」などで構成される。もちろん,イベントに多くの人々を呼び込むためには,目新しいものを積極的に取り入れなければならない。例えば,2011年12月の「森のマルシェ・ド・ノエル」では,いち早くプロジェクション・マッピングを取り入れたショーを展開した。プロジェクション・マッピングは,2012年に東京駅の新駅舎でも行われることで大きな話題となったが,それに先立って実施されていた流山市のイベントは,関東での先行事例として様々なメディアに取り上げられたという。その結果,その翌年のイベントには,12月22日と23日の二日間で27,000人の来場者があり,そのうちの60%以上が市外からの来場者であった。

こうしたプロモーションに対する流山市の姿勢は一貫している。例えば,上述した広告は,流山市を走る鉄道の沿線ではなく,首都圏の駅や鉄道に掲出されている。というのも,プロモーションのターゲットは流山市を知らない首都圏の人々であり,流山市近郊の人々ではないからである。一般的に市の広告と聞くと,市内の駅や路線に掲出されている印象を抱くが,流山市にとって既に居住している人々にイメージを訴求することが本来の広告目的ではない。流山市はあくまで「将来の住民」に流山市を知ってもらい,望ましいイメージを抱いてもらうことに徹したのである。

また,自治体が行うイベントにおいては,市内の参加業者における商業的な成果や,全体の参加者数などが重視されることも多いが,流山市では単なる来場者数だけでなく,市外からの来場者の比率からも判断しているという。魅力的なイベントは,市外の人が流山市を知り,体験するには絶好の機会となる。しかも,それぞれのイベントについて,「成功したら同じことをやらない」ことを基本としている。井崎市長は,「現在ではイベント来場者のうち4割から5割の人が市外の人になっている。就任当初には考えられない。」と話してくれた。各イベントの来場者数も年を追うごとに増加してきている。新たなイベントを仕掛け,市外からの来場者を集めることで,流山市の知名度とブランドイメージの向上が図られていることが分かるだろう。

図4

2018年のグリーンフェスティバルの様子

出所:流山市提供

IV. 自治体によるマーケティング展開の背景

1. 組織としての共通認識の醸成

ここまで確認してきた通り,流山市はターゲットや自らのポジショニングを明確に設定したうえで,それに合わせた施策を展開している。こうした一連の取り組みは,マーケティングにおける定石ともいえるだろう。しかしながら,上述した通り,自治体組織によるマーケティング展開は,決して容易なものではない。

2009年,流山市マーケティング課の中にシティセールス推進室が設置され,民間から室長と報道官が採用された。この組織改編によって,マーケティング課は従来からの公務員従事者2名,民間経験者3名,臨時職員1名の6名体制となる。こうした組織体制について,大島氏は,「民間企業では当たり前のようなことでも,自治体組織では強い反発が起きてしまうこともある。民間経験者による発想を市役所の文化になじませていくことができる。」と指摘する。2011年の流山市シティセールスプラン策定の際には,まさに自治体組織にマーケティング発想をなじませる工夫が施されている。

2011年に策定された第I期のシティセールスプランは,それまでも進められてきた流山市のマーケティングの考え方を改めて明文化したものである。流山市総合政策部マーケティング課シティセールス推進室室長の筒井秀夫氏は,プランについて「実は他の自治体が策定しているものと大差はない」と述べながらも,「唯一違うのであれば,DEWKsをターゲットとしていることを掲載した点」と続ける。

ターゲットを明確に設定し,それに適した戦略を展開していくことは,民間企業におけるマーケティングの出発点ともいえる。しかしながら,自治体組織においては,ターゲットの設定自体が難しいこともあるという。例えば,若い世代をターゲットに定めたと明文化することで,「全世代から得られた税金を特定の世代だけに使うのか」「他の世代を無視するのか」などといった批判的な声が上がる可能性があるのだ。2011年に策定されたシティセールスプランにおいて,DEWKsを住民誘致のためのプロモーションのターゲットとして明記した点も,「(当時としては)許されるギリギリの範囲だろう」と大島氏は振り返る。実は,このシティセールスプランの素案は,マーケティング課内のみで策定されたという。素案策定前に他部署や外部に意見を求めると,ターゲットの明記について,様々な意見が寄せられることは容易に想像がつく。その代わり,自治体として受け入れられる表現を従来からの公務員メンバーを中心に熟考したのだという。民間企業で培われた発想を自治体組織で活用していくためには,絶妙なバランス感が必要なのである。

こうして策定されたシティセールスプランであるが,プロモーションのターゲットをDEWKsとして明記したことが,流山市役所全体に与えた影響を過少評価するべきではない。民間企業においても,ブランド・ビジョンなどの策定に当たっては,明文化による関係者間の意識の共通化や一貫したマーケティング戦略実現などのメリットが指摘されている。流山市においても,住民誘致のターゲットとして,DEWKsが意識されていたのは,シティセールスプラン策定前からである。多くの市役所職員もDEWKsを呼び込みたいことは暗黙のうちに意識していたとは考えられる。しかしながら,それが明文化されることによって,市役所組織全体として意識が共有されやすくなったことは間違いない。明文化され,組織全体に共有されることで,DEWKs誘致への機運がより一層高まったと考えられる。

2. マーケティング実現のためのしくみづくり

流山市の躍進を支えているのは,民間企業で行われているマーケティングの発想を巧みに自治体組織に取り入れた点であろう。上述した通り,マーケティングの骨子でもあるターゲティングの考え方は,公平性を重視する自治体組織が取り入れにくい面もある。例えば,流山市が展開している広告について,「市民の税金で作成したポスターを首都圏に掲出して,市民が見られないのはおかしい」といった声や,首都圏からのアクセスを重視しているイベントについて,「市内その他のエリアで展開しないのは不公平だ」といった声も上がるという。しかしながら,流山市はこうした批判的な声を一つ一つ乗り越えてきている。

筒井氏は「近年,多くの市や町の職員の方が視察にいらっしゃる。他の組織で似たような取り組みが展開されてもおかしくない」と指摘する。しかしながら,表層的な取り組みだけを他の自治体が導入しようと思っても,うまくはいかないだろう。流山市におけるマーケティングの導入においては,組織的な要因が強く関わっていると考えられるからである。

一つの大きな要因は,トップマネジメントである市長によるマーケティングの強調である。Jaworski and Kohli(1993)は,トップマネジメントによって市場志向が提唱されると,組織の市場志向にプラスの影響があることを実証している。また,Cervera, Mollá, and Sánchez(2001)では,市長による市場志向の強調が取り上げられており,公共機関における応用性も確認されている。民間出身の井崎市長がマーケティングを理解し,それを推し進めようとしている点は,流山市のマーケティングにおいて大きな影響を及ぼしていると考えられる。特に,マーケティング課という独立した組織を設けたのは,市役所内外に向けてマーケティングを推し進めていくという強いメッセージにもなる。また,「室」ではなく「課」とすることで,市長自身がマーケティング課の活動に直接的に関与しやすくする側面もあったという。市長がマーケティング課の活動に継続的に関わっていくことで,組織内外にマーケティングの重要性が強調されやすかったと考えられる。

また,マーケティング課が市役所組織において巧みなバランス感覚を持って組織されていることにも注目すべきであろう。この点について大島氏は「民間から職員を採用すればうまくいくわけではない」と断言する。民間から職員を採用すれば,多様性が高まり,創造的な発想が生まれやすくなるかもしれない。その一方で,あまりにも異なる価値観の職員だけで施策が作り上げられてしまうと,部署間のコンフリクトが強まり,マーケティング施策の実施は難しくなってしまうだろう。「民間経験者から出される新たな発想の尖った部分を残しつつ,行政職員が市役所の文化でも受け入れられるようにしていかなくてはならない」と大島氏は指摘する。バランス良く組織されたマーケティング課が市役所内で様々な活動を展開することで,マーケティング課以外の部署にもマーケティング的な発想やマーケティング戦略の方針が浸透していきやすくなる。シティセールスプランに見られる通り,自治体の組織文化の中でも受け入れられる形を目指した点も流山市のマーケティングの成否を分けたポイントとなっているだろう。

マーケティング活動の柱の一つにイベントが据えられていた点も注目すべきである。イベントは,ブランドの世界観を伝達する重要なマーケティング・コミュニケーション手法であるだけでなく,主催者と顧客との直接的なインタラクションが生まれる場ともなる。マーケティング課が開催するイベントには,課を越えて様々な職員が参加し,イベント来訪者との直接的な交流が生まれたという。井崎市長は「イベントで楽しそうにしている市民や来訪者の顔を見ることで,職員の意識が徐々に変わっていった」と話してくれた。目の前の仕事に集中すると,顧客を見失いがちになるのは民間企業におけるマーケティングにおいてもしばしば指摘される点である。組織にマーケティング的な考え方を浸透させていく上で,顧客と職員との接点づくりは重要な役割を果たしたと考えられるだろう。

V. 流山市の現在

2005年4月に150,910人だった流山市の人口は,2018年4月には186,863人にまで増えている。それに加えて,30代の子育て世代と0歳~9歳の子供世代の割合が増加している9)。さらに,転入者に行っているアンケートによると,流山市以外に候補としていた転居先がなかったと回答している人が6割を超えているという10)。かつての「『流れ流れて流山』と多くの他の候補地の中から消極的な理由で選ばれていた(井崎市長)」という状況が,大きく改善していることが分かる。

2016年には2011年に策定されたシティセールスプランに続き,第II期のシティセールスプランが策定された。具体的な内容を見てみると,第II期のシティセールスプランにおいては知名度やブランドイメージの向上にとどまらず,「熱烈ファン」や「アンバサダー」の創出など,ブランドとしての流山と人々とのリレーションシップ深耕が目標として掲げられている。さらに一部では,こうした「熱烈ファン」や「アンバサダー」と協同した取り組みも進められ始めているようだ。

2018年に14回目を迎えるオープンガーデンイベントは,「ながれやまガーデニングクラブ“花恋人”」が主催している。このガーデニングクラブは流山市が主催したガーデニングフォトコンテストへの応募者を中心に設立されており,市と住民とが協働しながらコミュニティやイベントが創造されているのが分かる。2017年のオープンガーデンイベントには,全国から3日間で16,000人もの来場者があり,現在のガーデニングクラブのメンバーには,このオープンガーデンをきっかけに流山へと転居してきた人もいるという11)

また,2016年5月11日には,南流山駅から徒歩数分の住宅地に子育て女性向けのワーキングスペースTristが開業した。流山市在住の2児の母でもある尾崎えり子氏が開業したTristは,尾崎氏の「出産後に地元で働ける場が必要」という思いから生まれたという(Kimura, Sakamaki, & Jibu, 2017)。流山市は,「流山市商店街空き店舗有効活用等事業補助金」を使って,初期費用100万円などの支援を行っている(Ishii, 2016)。流山市が推し進める子育て世代の誘致に呼応するように,市民の側からも魅力的な取り組みが生まれ始めていることが分かる。

井崎市長は流山市の魅力について「面白いことをやろうという意識と意欲の高い市民が多いこと」としたうえで,「市に提案したら受け止めてくれるという信頼関係を築いたうえで,『ないもの』や『欲しいもの』を市民自身が作り上げるのを市が応援していく形にしていきたい」と語ってくれた。流山市の方向性に共感した「熱烈ファン」や「アンバサダー」との協働がうまくできれば,魅力的な施策がさらに生み出される可能性もある。

VI. 今後の課題

着実に人口を増加させている流山市であるが,課題がないわけではない。一つは,つくばエクスプレス沿線の市町村競争の激化である。例えば,2005年の段階で53,700人であった守谷市の人口は,2018年4月には66,598人に,40,174人だったつくばみらい市の人口は51,570人まで増えており,増加率では流山市を上回る12)。こうした人口増加は,八潮市,三郷市,柏市,つくば市などでも確認でき,沿線での住民誘致の競争は激化している。流山市の取り組みが注目されれば,近隣の市町村でも類似した取り組みが行われる可能性もある。今後はこれまで以上に新たな取り組みへの挑戦が必要となってくるだろう。

井崎市長は交流人口の増加を課題として挙げる。高齢化が進む日本においては,定住人口の長期的な増加を望むことは難しい。その際には,交流人口の確保による地域の活性化が重要になるからである。現在でもイベントなどの効果により,流山市における交流人口は増加してきている。それに加えて,ツーリズムにも注力しているという。利根運河や流山本町など,歴史的な背景を有する地域を中心に,今後さらに質を重視したツーリズム需要を開拓できるかが課題となるだろう。

また,「熱烈ファン」や「アンバサダー」との協働や共創に向けた取り組みも求められるだろう。転入者に話を聞いてみると,流山市在住の「熱烈ファン」や「アンバサダー」などによるクチコミの影響を確認することが出来るという13)。実際,2018年5月に行われたグリーンフェスティバル来場者のうち流山市在住の人を対象に,流山市を転居先として推奨したいかを尋ねたところ,3割以上の人が「そう思う」と回答した14)。さらに,小学生が同居している回答者においては,「ややそう思う」を合わせると7割に達する。調査人数が多くなく参考値ではあるものの,彼ら/彼女らによる情報発信を可視化し,それらを統合することが出来れば,より強固な波及効果を生み出すことが出来るはずである。このことは,井崎市長が「流山市第2期シティセールスプラン」の中で掲げている価値提案コンセプト「市民の知恵と力が活きるまち」とも合致するだろう15)

さらに,流入してきたDEWKs世帯の子供たちをいかにして流山市に定着させるかも課題になってくる。DEWKs世帯をターゲットとした目的の一つは子供世代の流山への定着である。今後はどのようにして,こうした子供世代に愛着を持ってもらい,流山市に長期的に居住してもらうかが重要である。第II期シティセールスプランに記載されている「シビックプライド」をいかに強固に醸成できるかがポイントとなる。

VII. 結びにかえて

井崎市長は,「戦略的市政経営」という言葉を使いながら,地域の可能性を見据えて長期的に自治体を導いていく重要性を説明してくれた。従来の自治体経営は,どちらかというと「モグラたたき的」であり,顕在化したニーズに対処している側面が強かったという。しかしながら,そうした対応では地域としての付加価値を高めにくい。「自治体の未来は変えられる」という強い信念を持ち,長期的で具体的な目標設定をしながら組織を導き,市民の潜在的ニーズにも対応していくことで,地域に付加価値が生み出されるのである。

また,大島氏は「市役所の職員は優秀な人が多い。それぞれに非常にいいサービスを追求している。ただ,伝え方が上手でない場合が多い」と指摘する。マーケティングを展開する上では,製品だけでなく,流通,価格,プロモーションを総合的に考え,適切な組み合わせを検討することで顧客価値を高めていくことが求められる。大島氏の指摘を参考にすると,行政組織において,製品やサービスの部分は十分に練り上げられているのかもしれない。しかしながら,他のマーケティング要素が不十分であるとするならば,それらを検討し,巧みに組み合わせることで,市民にとって価値あるサービスを展開できる可能性がある。

井崎市長は就任以来,職員に「誰に向けて仕事をしているのか」と問い続けてきたという。顧客志向はまさにマーケティングの本質である。日本の行政組織におけるマーケティングの応用事例は,それほど多くない。顧客に向けて適切に施策を組み合わせるというマーケティング的な発想や視点の活用は,人々のより良い生活の実現の一助となるかもしれない。

謝辞

本ケースの執筆にあたっては,2017年12月12日に井崎義治流山市長,2013年8月15日に流山市役所総合政策部 筒井秀夫氏(マーケティング課シティセールス推進室室長),大島尚文氏(マーケティング課課長補佐兼マーケティング係長)にインタビューにご協力をいただきました(役職名は取材当時のもの)。またインタビューの実現に当たっては,江戸川大学メディアコミュニケーション学部 残間義和特任教授にご尽力いただきました。ここに記して厚く感謝申し上げます。

1)  Statistics Bureau of Japan(2016)に基づき算出。

4)  Nagareyama City(2018c)から算出。

5)  Matsudo City(2018)より。

6)  Kashiwa City(2018)より。

7)  Umesaki(2013)のインタビュー記事より。

8)  Umesaki(2013)のインタビュー記事より。

9)  Nagareyama City(2018c)から算出すると,全人口に占める0歳~9歳と30歳~39歳の割合は,2003年はそれぞれ9.05%と15.00%であったのに対し,2018年は10.87%と15.54%へと増加している。

10)  Nagareyama City(2018a)より。

11)  2017年12月12日に行われた筆者らによる井崎市長へのインタビューによる。

13)  2017年12月12日に行われた筆者らによる井崎市長へのインタビューによる。

14)  2018年5月4日にグリーンフェスティバル会場で行われた江戸川大学エドアドおよび井上ゼミ学生の調査による。有効回答数58。なお,調査結果はEdogawa University Inoue Seminer(2018)でも報告されている。

15)  Nagareyama City(2016)より。

石井 裕明(いしい ひろあき)

成蹊大学経済学部准教授。早稲田大学商学部を卒業後,同大大学院商学研究科修士課程および博士後期課程へ進学。博士(商学)。千葉商科大学サービス創造学部専任講師,准教授を経て,2015年より現職。専門は,消費者行動,マーケティング。

外川 拓(とがわ たく)

千葉商科大学商経学部准教授。東海大学政治経済学部を卒業後,早稲田大学大学院商学研究科修士課程および博士後期課程へ進学。博士(商学)。千葉商科大学商経学部専任講師などを経て,2016年より現職。専門は,消費者行動,マーケティング。

井上 一郎(いのうえ いちろう)

江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授。明治学院大学経済学部卒業,早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。旭通信社(現ADK),宣伝会議(月刊販促会議編集長),アサツーディ・ケイ(第1XC局長ほか),江戸川大学准教授を経て2018年より現職。専門は,マーケティング,統合マーケティング・コミュニケーション。

References
 
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